皆様、ご無沙汰しております。
今回の記事はこれまで撮り溜めた写真のうちから鹿児島地区で走ったことのあるまたは目撃したことのあるキハ40形またはキハ140形についてまとめたものを紹介しようと思います。
キハ40形について
まずはキハ40形の概要について、国鉄キハ40系気動車は1977年から1982年にかけて国鉄に導入された気動車になります。新潟鐵工所または富士重工業により製造されています。
キハ40系は片引き戸を車両の端に設置した両運転台のキハ40形、片運転台のキハ48形、車体中寄り2箇所に両開きの引き戸を設置したキハ47形の3形式のことを指し、後に派生形式も登場しております。
番台区分としてキハ40形の登場時には極寒地用の100番台、寒地用の500番台、暖地用の2000番台の3タイプがあり、九州地区では2000番台のみ配置されていました。
以下の項目では実際に私が見かけたことのある車両を載せてみようと思います。
鹿児島地区ではキハ40の200番台と改良型の800番台、キハ140 2000番台の3種類を見かけることができました。
運行区間
2026年現在の運行区間は指宿枕崎線の全区間、鹿児島本線の鹿児島中央〜鹿児島ならびに日豊本線の鹿児島〜国分、肥薩線の隼人〜吉松、吉都線、日豊本線の(西都城)都城〜宮崎になります。
鹿児島中央駅発列車では平日の6:33鹿児島中央発指宿枕崎線の喜入行き325Dと折り返し喜入07:39発鹿児島中央行きの326D。
325D、326Dで使用された同じ車両が13:39鹿児島中央発日豊本線の国分行き6758Dに充当されるようです。
6758Dは鹿児島中央駅で現在みられる唯一の単行列車となっております。
6758Dは1両編成で動くことがほとんどですが、まれにキハ40系2両編成の時があります。
6758Dが肥薩線や吉都線の運用に入る一方で、前日から肥薩線で運用している車両は鹿児島中央方面に回送列車となり乗車できないようです。
肥薩線の隼人〜吉松間が復旧したら、時刻についても少々記載しようと思います。
もう1本、鹿児島中央20:00発指宿枕崎線の山川行き1359Dにおいてキハ40が2両で運行されます。
山川駅到着後、指宿駅まで回送、1両ずつに切り離され夜間滞泊、
翌日の朝片方の1両は西頴娃まで回送、西頴娃05:31発山川行き5320D→山川06:11発枕崎行き5321D→枕崎07:35発指宿行き5322Dです。
もう1両は指宿07:12発西頴娃行き5323D→西頴娃08:48発指宿行き5324Dとなり終点指宿駅で5322Dで使用された車両と連結された後、2両編成で指宿10:05発鹿児島中央行き1334Dとなり鹿児島中央まで帰ってきます。
なお、夜の指宿枕崎線に入った車両は枕崎まで行く車両と西頴娃まで行く車両が日替わりで交互に入りはずです。
したがって、指宿枕崎線で見られる運用は朝の指宿〜枕崎間がメインとなっており非常に限定的となっています。
一方で肥薩線では隼人〜吉松間で走る2列車のうちどちらかがキハ40のため、午後の時間帯でも見ることは可能となっています。
なお、この他にもキハ47の代走として入る可能性はあります。
キハ40形
2000番台と8000番台がいました。
2000番台
まずはキハ40の2000番台車から。
2022年12月の廃車時点までDMF15HSAの原型エンジンを装着していました。
そのため、他の番台の車両よりエンジンの性能的に加速が鈍足ではありました。
鹿児島地区には2068と2105の2両がおり、特に2105の方は新製配置時から廃車になるまで一貫して他地区へ転属することはありませんでした。
キハ40 2068

この車両は1980年新潟鐵工所で製造、長崎に新製配置された後1984年2月南福岡に転属、1988年3月より直方に転属、1997年11月から唐津へ転属、2006年8月より鹿児島(日南運用)に転属、2011年より鹿児島地区の運用に入っていました。
すなわち大分と熊本以外の全ての県で運用があったことになります。
2021年3月のダイヤ改正で保留車となり、
2022年12月運用離脱および廃車となりました。

キハ40 2105
鹿児島のキハ40に思い入れのあるのある方でしたらこの子を思い浮かべるかもしれません。
先ほども触れたのですが、キハ40 2105は1981年2月鹿児島に新製配置をして以来2022年の運用離脱、廃車までエンジン置換なしで一貫して鹿児島地区で走り続けました。2068とは真逆の運命でした。
そのため、見た目も屋根上の通風口を撤去したくらいでトイレの窓や水タンク有りの原型の姿を保っていました。

2016年9月に撮影したものですが、肥薩線から日豊本線、鹿児島本線直通の4223Dだったと思います。
後ろの車両の番号も記録しておけば良かったのですがね。。。

キハ40 2000番台についてはこれくらいにします。
8000番台
続いて8000番台になります。一部宮崎車両センターの車両も混じっていますがたまたま見かけたのでここに載せようと思います。
キハ40の8000番台車両は元々の番台である2000番台車に6000を足したものです。
1999年からエンジンをコマツ製SA6D125H-1Aに2004年以降は排気ガス対策を強化したSA6D125HE-1(出力はいずれも300 PS / 2000 rpmに調整)に換装したものになります。
変速機は新潟コンバータ製TACN22-1612A(変速1段・直結2段)です。
キハ40 8038
現在の鹿児島地区で走っているキハ40の中で最も有名な車両になるでしょう。
キハ40 8038は1979年11月キハ40 2038として新潟鐵工所で製造、大分に新製配置、1996年3月長崎に転属、2000年7月エンジン換装(コマツ製SA6D125HE-1)を行い、高出力化改造を行いキハ40 8038へ改番され大分に戻り、2003年3月より鹿児島に転属しました。

トイレの小窓や屋根上の水タンクは残されていますが、車体のルーバーは埋め込まれています。
指宿枕崎線の鹿児島市近郊区間では見ることがないのですが、運行区間の項目で触れた通り指宿〜枕崎の間では朝の時間08:00時台に当形式による単行列車を見ることができます。

2023年に肥薩線(隼人駅〜吉松駅)開業120周年と吉都線開業110周年ならびに指宿枕崎線開業60周年を記念して2024年3月11日、キハ40 8038は国鉄色となって小倉工場を出場しました。
出場後は指宿枕崎線をはじめ日豊本線や肥薩線、吉都線の運用に就いています。
2024年の11月には唐津地区にも貸出されたことがあるようです。




指宿枕崎線や肥薩線、吉都線で国鉄色を捉えることはできていないのですが、日豊本線の6758D列車で運行されることがよくあるので何枚か記録することができております。

キハ40 8050
元々はキハ40 2050として1980年に製造、鹿児島に新製配置されました。
一時期都城にいたことがありましたが、ほぼ鹿児島地区で活躍していました。
2004年11月よりエンジン置換によりキハ40 8050へと改番されました。


トイレの小窓は埋められており、屋根上の水タンクも撤去されていたようです。
2024年2月27日に廃車となりました。
キハ40 8056
1980年3月22日、新潟鐵工所でキハ40 2056として製造、鹿児島に新製配置されました。1992年7月直方に転属、1997年6月にエンジン置換等の改造を受けキハ40 7066に改番、2005年3月鹿児島へ戻ってきて2006年11月ワンマン化改造によりキハ40 8056へ改番されました。
2回改番がされています。


キハ40 8050と同様トイレの小窓は埋められており屋根上の水タンクも撤去されています。
また、車体のルーバーも埋め込まれているため見た目が非常にすっきりとしていますね。
鹿児島在住で現役のキハ40の中では珍しい見た目となっております。

他の個体に比べてあまり見かけていないようです。
キハ40 8064
1980年6月19日にキハ40 2064として新潟鐵工所で製造され長崎に新製配置されました。1984年2月に竹下に転属、1986年11月の唐津に転属、1993年3月より鹿児島に転属、2010年12月頃に鹿児島総合車両所でエンジン換装などの改造を受けキハ40 8064として改番、現在に至っております。
8050や8056と異なりトイレの小窓や水タンクは残されています。
また、車体のルーバーも残っています。

鹿児島車両センターで撮影したものですが、先ほど触れた8050とは異なり現役で動いています。



列車の背後には桜島が見えています。

冬の青空の下、右手に桜島と鹿児島湾、中奥に仙巌園、左手に旧鹿児島紡績所技師館(異人館)の建物が見えています。
キハ40 8064の方は2025年の秋〜冬にかけては車体の塗装が少し剥げかかっていました。

意外と8064はあちこちで記録していました。
指宿枕崎線のみではなく、日豊本線や肥薩線、吉都線で走っていることがわかります。
キハ40 8065
1980年6月27日、新潟鐵工所で製造、長崎にキハ40 2065として新製配置、いつからかはわからないのですが1986年まで竹下に転属、1986年11月から唐津に転属、1993年3月から鹿児島に転属、2008年8月15日鹿児島で機関換装によりキハ40 8065へ改番、2010年から宮崎に転属して現在に至ります。

たまたま鹿児島にいたので1カットのみですがここに記載しておきます。
宮崎所属では珍しい、水タンク残存車みたいですね。
キハ40 8098
1980年12月キハ40 2098として富士重工業で製造、鹿児島に新製配置、1992年7月直方に転属、2006年鹿児島へ転属、2008年機関換装によりキハ40 8098へと改番、2013年より宮崎に転属しています。
2023年の日南線開業60周年記念企画の一環として、2024年7月に従来の九州色から朱色5号の「首都圏色(いわゆるタラコ色)」へ塗装変更されました。

現在は宮崎車両センターに所属しており、主に日南線で運行されています。
そのため、鹿児島所属の車両とは車体の向きが逆となっています。(鹿児島車はトイレが西向き、宮崎車は東向きです)
上の画像は2025年2月日南線に急行「日南」、吉都線・肥薩線・日豊本線に急行「えびの」、指宿枕崎線に急行「かいもん」としてキハ40 8038国鉄標準色との2両編成で運行が企画された時に指宿枕崎線の宇宿駅と谷山駅の間で撮ったものです。
日南線で狙うののは本数的にも距離にも難しいかもしれませんね。
なお、トイレの窓は埋められており、屋根上の水タンクも撤去されています。
キハ40 8099
1980年12月12日キハ40 2099として富士重工業で製造、鹿児島に配属、1983年に志布志に転属後主に宮崎地区(日南線)で活躍しています。
日南色は1998年、古い車両の印象を払拭し日南線のイメージアップを図るため沿線自治体の募金によって塗り替えが実現したそうです。車体には「NICHINAN JINE」のレタリングがされています。他にキハ40 8097も日南色になっています。
2008年にエンジン換装など行いキハ40 8099へ改番しました。
この子も現在は宮崎車両センターに所属している車両です。

8098と同様トイレの窓は埋められており、屋根上の水タンクも撤去されています。
画像は無いのですが、2024年12月18日より2026年3月31日まで「ナッシートレイン宮崎」の塗装となっていたようです。
キハ40 8101
1980年12月富士重工業で製造、鹿児島に新製配置され1983年からは志布志に転属、1987年JR九州発足後は鹿児島へ戻り2000年12月に機関換装などでキハ40 8101へ改番、2004年10月に直方へ転属、2006年9月には熊本へ転属、2011年12月より再び鹿児島に戻ってきて現在に至ります。


トイレの小窓と水タンク、車体のルーバーは残されています。
また、貫通扉にはヘッドマークステーも残っているようです。
キハ140形
キハ40 8000番台が登場する前、1990年から1993年にかけて篠栗線などのスピードアップ用にエンジンを360PSのSA6D125HD-1に換装して出力増強をした系列になります。車両番号は原番のままです。
キハ140 2061
1980年6月19日にキハ40 2061として新潟鐵工所で製造、長崎に新製配置されました。1984年2月より直方に転属、1987年からは唐津に転属、1988年から再び直方へ、1991年1月にキハ140形に改番、1993年4月より大分に転属、1994年3月以降は鹿児島いる車両です。
1990年代前半までは転属の動きがよくありましたが、1994年以降は鹿児島から離れておりません。


屋根上の通風口撤去以外は原型の姿を保った見た目となっています。

キハ40 8038のところでも触れたのですが、日豊本線の6754Dは普段キハ40系の1両編成でやってくる運用のはずが年末年始の多客期に合わせたのでしょうか、キハ40系の2両編成でやってきました。
先ほど触れキハ40 8101がくっついていました。

キハ47の代走でキハ140 2061と2062が連番で連結されていました。
キハ140 2062
この子は知る人ぞ知る有名車両です。
1980年6月19日新潟鐵工所で製造、長崎に新製配置されました。1982年から84年頃に通常の首都圏色ではなく国鉄の小倉工場で試験的に塗装した「小倉試験色」を纏った個体になります。青とクリーム色の2トーンカラーだったようです。
1984年2月より竹下に転属、1988年4月より直方へ転属、1993年3月より大分へ転属、1994年3月より鹿児島におります。

貫通扉にはヘッドマークステーが設置されているのも特徴となっています。



この子もキハ40 8064と同じくらいよく見かけていたようです。
キハ140 2066
1980年にキハ40 2066として富士重工業で製造されました。1984年2月直方へ転属、1985年3月竹下へ転属、1987年直方へ転属、1988年6月冷房改造を実施、1992年7月人吉へ転属1993年6月キハ140 2066へ改番、1995年4月より鹿児島に転属、2004年2月特急「はやとの風」専用車へ改造、2012年3月特急「指宿のたまて箱」用へ再改造され現在に至っております。
この子は現在指宿枕崎線の特急「指宿のたまて箱」号の増結・予備車として活躍しています。


かつては特急「はやとの風」用の専用車両でしたが、2012年に「指宿のたまて箱」用に再改造されました。宮ヶ浜駅付近で2016年12月撮影。

塗装はいぶたまの白黒塗装のまま肥薩線に入線していました。
「はやとの風」は2022年3月に運行終了しています。
キハ140 2067
1980年6月27日に新潟鐵工所で製造、長崎に新製配置されました。1984年2月に竹下に転属、1987年に直方に転属、1990年に大分に転属、1991年2月にエンジン置換キハ140 2067に改番、1993年に鹿児島へ転属してきました。

キハ140 2067を先頭にこの後肥薩線、吉都線経由で都城まで運行していました。
期日はわからないのですが、現在は直方に転属しており原田線や後藤寺線、日田彦山線で運用されているようです。
キハ140 2127
本日ラストの車両になります。
1981年6月23日に新潟鐵工所で製造、竹下に新製配置されました。1986年3月に直方に転属、1993年1月4日に小倉工場で機関更新、車体改修を行いキハ140 2127に改番され3月に長崎から熊本に転属(この辺りの正確な所属先は不明です)、鹿児島の宮崎運用に転属し日南色に塗られてようです。2011年宮崎に転属、2013年からは鹿児島に転属して現在に至ります。
私があまり鉄道車両を撮っていない時期の画像しか残っていないですが、鹿児島に転属してすぐの頃も下の写真のように日南色で肥薩線を運行していたことがありました。

そのため、日南線のみではなく肥薩線や吉都線での運行があったようで、上の写真のような肥薩線大隅横川駅で日南色を見かけることができました。

現在は九州色に戻っています。


指宿枕崎線運用の項目で触れたのですが、夜に1359Dで山川まで行った後、翌日の朝枕崎行きと西頴娃行きの2つに分かれて走ります。

新上橋付近で満開の状態で咲いている桜と撮りたかったのですが、天候やタイミングに恵まれず来年以降トライしてみようと思います。
キハ140についてはトイレ上の水タンクや残されており、2066以外は小窓も残っています。
最後に
今回は私が写真に記録したことのある15両について記載しました。
内容は随時更新しようと思っています。
お付き合いくださりありがとうございました。
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