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生誕100年山下清展

10数年ぶり

2022年3月25日〜5月5日まで鹿児島市立美術館で開催されました生誕100年山下清展については記録として残そうと思います。

私自身、山下清展については十数年前当時住んでいた福岡でエセ放浪のようなことをしていた際、

湯布院の美術館で開催されている時に原画を見たことがあります。

その時の衝撃は今でも覚えており、テレビドラマで見たイメージと本物とははかなり違った印象を持ったものでした。

生誕100年山下清展の看板に書かれている絵は山下清自身の自画像だそうだ。
看板に書かれている絵は山下清自身の自画像だそうだ。

作品展にて本物を鑑賞

生誕100年山下清展看板。作品のタイトルは高崎の花火。
生誕100年山下清展看板。作品のタイトルは「長岡の花火」。

改めて彼の絵を鑑賞して思ったこと。

看板にもなっている「長岡の花火」をはじめ各作品は圧巻で非常に見応えがありました。

じっくり見てみるものです。

吃音の障害はあったもののそれは度外視して、

彼の瞬間的な記憶力の凄さや作業の細かさというか器用さというか、常人では真似できないと思ったところです。

ちなみに当時はカメラ自体が非常に高価な上、持っていたととしても白黒写真しか撮れなかったはずです。

(しかも扱いづらい)

貼り絵は勿論のこと、水彩画やペン画、陶磁器の絵付けとも相性が良かったようです。

一方で、油絵との相性は良くなかったみたいです。

写真を撮る者側(私)からの視点、鑑賞点

前回鑑賞した時と違い、私自身が写真を撮るようにました。

写真撮影の面から作品を見ていって気づいた点があります。

建築物の水平垂直の歪みが全くなくて、高さのアングルもちょうど良いということです。(特に西洋編)

風景画ではちゃんと奥行きも表現されていることも分かります。

それと、作品に書かれていたサインをはじめ、日記等に書かれていた字も綺麗であることが意外でした。

個人的に天才肌の人は文字が読めないくらい字が汚い(私もその気が十分ありますが(笑))というイメージなので、今回気づいた新たな発見でもあったのです。

放浪した歴史的な背景

では、なぜ放浪する必要があったのでしょうか?

その前に、初期の作品は昭和初期、太平洋戦争の直前の頃に相当するため満足な物資が無かったのは容易に想像できます。

作品で使われていた紙の色も地味な色しか存在していなかったと思われます。

そのため、初期の作品では材料に切手を使用したものも数多く見られました。

(ちなみに戦後以降の作品では使用している紙の色も鮮やかなものも増えています。)

戦禍に巻き込まれるにつれ、徴兵検査を受けないとならなくなります。

それを避けるため、長期の放浪の旅に出たと言われております。

生誕100年山下清展にて。ともだち。
ともだち。(今回の展覧会では写真撮影可能な作品も数点ありました)
生誕100年山下清展にて。上野の地下鉄。
上野の地下鉄。

鹿児島との関連性

たしか前回の山下清作品展を見た際に、放浪中の彼を捜索している新聞記事や鹿児島駅で発見された(保護された?)記事も紹介されていた記憶があります。

鹿児島駅駅舎(先代)。鹿児島駅で放浪の旅は終わったようだ。
鹿児島駅駅舎(先代)

鹿児島が「放浪の旅」の終わりの地であったそうな。

どうでも良いことですが、鹿児島駅を題材にした記事全く書いていませんでした(汗)

余談ですが、私の放浪記鹿児島が最後でした。

実際、彼は何度も鹿児島を訪れていたようです。

「桜島」や「開聞岳」を題材にした作品も数点ほど展示されていました。

放浪の旅の後は、画家として引っ張りだこになったそうです。

話は逸れますが、戦後には40日間にわたるヨーロッパへの旅もしており、西洋の建物の作品も数多く残されています。

城山から見た鹿児島市街地。港の形がだいぶ変わった。
城山から見た鹿児島市街地。港の形がだいぶ変わった。

例えば、桜島はおそらく城山の展望台からのもの(昔の鹿児島港の姿が懐かしかったです)や磯か花倉もしくは鹿児島駅近くのアングルが有名です。

また開聞岳は長崎鼻のあたりからのアングルなのかなあと思ったところですね。

2022年の今、思うこと

最近の流行りですとYouTubeで今の旅を紹介する方々もいる一方で、かつての映像をあげている方も結構いらっしゃいます。

便利になった反面、いったん他人に見つかってしまった場合、自分の好きなように行動ができなくなってしまった例も多々あります。

情報が氾濫するようになった現代において、もし有名になってしまったら存在を消すように移動、行動することは可能なのかどうかは分かりません。

南九州市 寺社仏閣 放浪記

大野岳Ⅰ(大野岳の茶寿階段)

はじめに

ここのところ季節柄、桜絡みの投稿が続いておりますが、今回は(変化球ということで)当初は昨年の12月ごろ記事にしようと思っていたのですけどなかなか時間がなくて、どう書けば良いのかわからなくなってしまってお蔵入りになりかけたものから記事をまとめていこうと思います。

ということでテーマは大野岳の茶寿階段です。

まずは今回の目的地である大野岳の場所は下の地図を参照にしてください。

実は以前、1度大野岳を訪れたことはあったのですが、その時は思った写真が撮れなかったので今回は再チャレンジしたく、天気も良さそうでしたので行ってみることにしました。

大野岳の駐車場に向かう途中で、冬の頴娃町名物である大根やぐらを見かけることができました。

大根やぐら。
茶畑大根やぐら。冬の頴娃町名物である。

大野岳駐車場より

車を走らせることしばし、大野岳の駐車場に到着するやいなや、絶景が見られます。

大野岳駐車場から見られる絶景。
大野岳駐車場から見られる絶景。

この写真に写っている地理を普通に解説しても良いのですが、敢えて試験問題文風にしたものを以前、Instagramにアップしていたので、ここでも問題文を載せてみます。

問題1

次の文章の各括弧内に当てはまる地名を下から選べ。

この写真中央右寄りにある三角形の山は(A)富士と呼ばれる(B)岳で左手にある湖はカルデラ湖である(C)湖、奥手にある半島は(D)半島で(E)町に相当する。この(D)半島の南端には本土最南端の(F)岬がある。(E)町ならびに当写真の撮影地である南九州市は共に大根の一大産地であり、両地域では12月から1月にかけて大根やぐらが見られる。
また、右手の海の奥手にはうっすらと(X)が見えている。またこの海のあたりは(Y)カルデラと呼ばれる。

A〜Fまでの選択肢


九州 鹿児島 薩摩 大隅  大野 入野 頴娃 藺牟田 鰻 鏡 池田 南九州 南大隅 南さつま 開聞 佐田 佐多 野間 長崎 山川 指宿 大根 大根占 禰寝 根占


Xの選択肢


種子島 屋久島 口永良部島 黒島 竹島 硫黄島 中之島 知林ヶ島 桜島 諏訪之瀬島 宝島

Yの選択肢


池田 阿蘇 機械 喜界 鬼界 阿多 米丸 姶良

解答

「この写真中央右寄りにある三角形の山は薩摩富士と呼ばれる開聞岳で左手にある湖はカルデラ湖である池田湖、奥手にある半島は大隅半島で南大隅町に相当する。この大隅半島の南端には本土最南端である佐多岬がある。南大隅町ならびに当写真の撮影地である南九州市は共に大根の一大産地であり、両地域では12月から1月にかけて大根やぐらが見られる。
また、右手の海の奥手にはうっすらと竹島が見えている。またこの海のあたりには鬼界カルデラと呼ばれる。」

問題2

下の写真中央よりやや右寄りに写っている火山島の名前を下記の選択肢より選べ。
諏訪之瀬島 口永良部島 硫黄島 中之島 黒島

先ほどの写真から少しだけ右に振ったもの。島々が見え始める。
先ほどの写真から少しだけ右に振ったもの。島々が見え始める。

解答

硫黄島(三島村)

です。試験問題はこのくらいにして、茶寿階段を登りたいと思います。

いざ、茶寿階段を登る

登る前に綺麗な紅葉と、椿もしくは山茶花らしきものが咲いていました。

茶寿階段の入り口である大野嶽神社でみられた紅葉。
茶寿階段の入り口である大野嶽神社でみられた紅葉

茶寿階段の始めはここからです。神社にある鳥居と仏閣にある仁王像が混在しているのが不思議でした

大野嶽神社の鳥居と仁王像。茶寿階段の始めにあたる。
大野嶽神社の鳥居と仁王像。

右手にある仁王像の首や腕が切られているのは、明治初期盛んに行われた廃仏毀釈の被害かと思われます。

茶寿階段にて人生を振り返る

人生を振り返る的投稿は(定かではありませんが)当ブログでも昔書いていたような記憶があります。

10代

私も若い(というかすごく幼い)頃は非常にやんちゃ坊主で両親に反抗的な態度をとっていたのですが、(身体が弱かったせいもあり)いつの間にかおとなしくなったというか、人見知りの億劫で大人しくなってしまいました。

そして、1日あたりの時間もたっぷりあって(中学校生活の部活や高校時代の勉強に追われていた時期は除きますが)「何をして過ごそうかな」っていう日々を過ごしていました。

茶寿階段30段目あたりだったと思う。まあまあな厄年でもある。
茶寿階段30段目あたりだったと思う。まあまあな厄年でもある。

20代

ところが、県外の大学を出てみると仕事(就職先)が無い時期と重なってしまい、ちょっとした生活費を稼ぐのもやっとな状態でした。

今でも思い出すのが20代半ばで1日あたりの食事が安い6枚切りの食パン2切れで過ごしていた時期もあったくらいです。

その後、体力の要る販売の仕事をしばらくしていまして、とりあえず安定した収入が入るようになりましたが30手前になった頃、母親の難病(ALS)が発覚し看病などのため地元に戻ることになったのです。

まあ地元に帰らないといけなくなった直接的な引き金となった事件があったのですが、面白いのでついでの機会に書こうかなと思います。

茶寿階段本厄の年のあたり。
本厄の年のあたり。

30代

そして、30歳を越えると若い頃とは違い、体力が落ちつつあるというのを実感しはじめるようになりました。

人生の苦しみを本格的に感じるようになるのは20歳を越えてから、また30歳代では仕事をしながら両親のお世話(というより介護)をした後、両親との死別もありました。

同時に自分の生活も維持していかなければならないという二進も三進も行かない状態もありました。

(当ブログ自体書き始めて今年で丸10年を迎えるので、昔の記事を遡ると苦しい時期の記事も残している可能性がありえます)

一方で、これまでに出会うことのなかった人々や新たな友人たちとの出逢いもあってなんとか30代を乗り切ったところです。

40代以降、これから

40代に入り、つい先日本厄の3年間をなんとか乗り切ることができました。

とはいえ、私の身内に45歳くらいで病気のため亡くなってしまった例が何件かあるので、身体には気を付けなかれなばならないと思うところです。(45歳くらいで八方塞がりにぶち当たるはず)

年々時は経つのを早く感じてしまい、そろそろ残りの人生についても考え出した方がいいのかなともついつい考えてしまいます。

茶寿階段を登り切る

108段ある茶寿階段を登り切ったところが大野岳の山頂(標高466m)となります。

108段ある茶寿階段を登り切ったところに見える山頂の標識。
108段ある茶寿階段を登り切ったところに見える山頂の標識。
茶寿階段を振り返ってみた。人生を振り返るのと似ていた。
茶寿階段を振り返ってみた。人生を振り返るのと似ていた。

茶寿階段を登り切ったところから後ろを振り返ってみると、これまで過ごした人生が走馬灯のように感じられますが、実際に見えたのは池田湖湖畔でした。

ちなみに人生でいう茶寿は数え年の108歳ですが、何歳まで生きていけることやら。

展望台2ヶ所からの眺めをはじめ、大野岳から見えた景色に関する別テーマの記事についても今後書いていく予定です。

さつま町 宮之城線 放浪記 未分類 街を歩く。 街並み 鉄道

薩摩永野駅Ⅱ(桜編)

今回のテーマはズバリ「薩摩永野駅と桜」です。

前回、当駅(というか今は記念館になっています)を訪れたのは秋口になったころで、主な目的は当駅の構造を見るためでした。

薩摩永野駅の概要

薩摩永野駅は1987年に廃止された国鉄宮之城線にあった駅のうちの一つです。

廃止後当駅跡地には永野鉄道記念館が建てられ、建物内部には下の画像のように現役当時に使われていた駅名標や改札口(ラッチ)が備えられています。

永野鉄道記念館内にて
永野鉄道記念館内の様子。

前回の記事では触れていなかったと思いますが、国鉄時代の駅名標のフォントもなかなか味があります。

薩摩永野駅の駅名標1、改札口にて。
薩摩永野駅の駅名標1。改札口にて。
薩摩永野駅の駅名標2、看板の向きがやや下向きになっている。
薩摩永野駅の駅名標2。看板の向きがやや下向きになっている。s

宮之城線薩摩永野駅の駅構造近くにあった金山の歴史等の過去記事についてはリンクを貼っております

スイッチバックと桜並木

ここからが本記事の本番、薩摩永野駅と桜の記録になります。

撮影日は生憎の雨模様で、訪れる寸前までは春の嵐でした。なかなかこの時期の天気は安定しないものです。

まずはシーサースクロッシングを中心としたアングルから横位置と縦位置で。

右手奥には菜の花も咲いていました。また、昔使われていた腕木式信号機も絵になっています。

薩摩永野駅と桜1。シーサースクロッシングと桜。
薩摩永野駅と桜1。シーサースクロッシングと桜。
薩摩永野駅と桜2。シーサースクロッシングと桜、縦位置で。
薩摩永野駅と桜2。シーサースクロッシングと桜、縦位置で。

続いては交差した線路の先を見ていきます。

薩摩永野駅と桜3。
薩摩永野駅と桜3。どちらに行こうか迷う。

前回の記事で触れたように、当駅から右手へ向かうと薩摩大口駅方面へ、左手に向かうと宮之城・川内駅方面へ向かう分かれ道であり、折り返し駅であったことがわかります。

薩摩永野駅と桜4。
薩摩永野駅と桜4。駅舎(記念館)の方を向いてみた。
腕木式信号機と桜。
腕木式信号機と桜。

作者個人的には下の写真のようなアングルが好みであります。

薩摩永野駅と桜5。何か取り残された感がする。
何か取り残された感がする。

動画も撮ってみました

今後この地に来れる機会があるかどうかわからないし、写真だけではもったいなかったので、instagram用の動画にも残しておきました。

これまでは隠れた桜の名所(本当に穴場的存在)であったのですが、数年前からInstagramを始め各メディアで当地を紹介されるようになってきたみたいなので、今後はひっそりと楽しむことは難しくなるのではなかろうかと思います。

嘉例川駅と桜
動画 史跡 放浪記 登録有形文化財 肥薩線 鉄道 霧島市

嘉例川駅Ⅲ(嘉例川駅と桜)

今回当駅を訪れた目的は定番なのですが、スバリ桜を見る(いわゆる嘉例川駅と桜の写真を残したい)ためでした。

これまで当ブログで肥薩線の嘉例川駅について取り上げたことが2度ほどあります。

一弾(初夏編)はこちら。

第二弾(秋の夕刻編)はこちら。

また、肥薩線吉都線関連の駅についてはこちらのリンクを参考にしてください。

駅入口から

まずはこちらから。駅入口の駐車場から俯瞰的に駅舎方面を見た様子です。

これだけで多種の桜が咲いていることがわかります。

嘉例川駅と桜
駅の駐車場より俯瞰的に
駅の駐車場より俯瞰的に。

とりあえず駅へ向かう階段を降りてみると猫ちゃんがいたので、こっちを向いている瞬間を狙ってみました。

ぬこ様を添えて
ぬこ様を添えて

駅ホームより

次は駅のホームから。ホーム上から隼人駅方面ならびに霧島温泉駅方面を見たものです。

ここからは撮影データより嘉例川駅と桜の画像をいくつかピックアップしていきます。

嘉例川駅と桜。
隼人駅方面を眺める
隼人駅方面を眺める。
嘉例川駅と桜
こちらは霧島温泉、吉松駅方面を見たもの
こちらは霧島温泉、吉松駅方面を見たもの。

以前の記事で触れたことがあったような気がしますが、当駅ではかつて列車交換(離合)ができるよう、使用中のホーム向かい側にもう1本プラットホームがありました。

現在は上画像の通りレールは取り除かれておりホーム上に桜やツツジが植栽されています。

毎年春になると満開の桜が見られ、花が散った後の新緑の姿もなかなか絵になる風景です。

気になるもの

左手にある国鉄コンテナに目が行ってしまった
左手にある国鉄コンテナに目が行ってしまった。

少し話はそれますが、吉松駅方面にズームしていくと国鉄時代のコンテナがひっそりと置かれていました。

国鉄コンテナというと緑色の箱で扉に「戸口から戸口へ」と書かれていたのが有名で、某100均ショップで国鉄コンテナの形をした容器が売られているそうです。

以前当駅を訪れた際は全く気づかなかったのですが、駅舎内にはタブレットキャッチャー(下画像、中ほどにある螺旋状のもの)も保存されていました。

タブレットキャッチャーとタブレット閉塞機(右)
タブレットキャッチャーとタブレット閉塞機(右)

締め(定番のスポットより)

最後に駅の外からの画像を載せて締めようと思います。

嘉例川駅と桜
嘉例川駅と桜
嘉例川駅と桜

晴天時の嘉例川駅は多くの観光客が訪れるのですが、私が訪れた当日は春の嵐の後だったのもあって人気がほとんどありませんでした。

ただ、雨上がり後の当駅も趣があり雰囲気としては好きかなあと思います。

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10年ひと昔的話

当ブログ10年目を迎えるにあたり変更したことと、これからしていきたいことが出てきたので

少々雑記として書いていこうと思います。

相棒の変更

まずは相棒の変更。

前回の投稿後だいぶ時間が空いてしまったのですが、私がこれまでメインで使用している機材MacBook Pro Mid2012 13インチをいよいよ更新する必要が出てきたために投稿を書くどころではなくなりました。

ということで先日より新相棒MacBook Air M1 2020 13インチにデータ移行など各種作業を行なっているところです。

これまで使ってきたMacBook Proの方も購入したきっかけは動画編集をするために必要になったのが理由でした。

ただ、今回も買い直す直接のきっかけとなったのは今までの端末では長時間の動画編集の書き出しに難が出始めたです。

他にもモニターの映りも悪くはないけど新型の方が断然綺麗であること(ピントあっているかどうかハッキリわかる)、OSの更新に対応できなくなったこと、

話題のAPPLEシリコンであるM1チップ搭載機で対応ソフトがだいぶ増えてきたことなどが相まったからです。

旧機種と見比べてみる

下の画像は両機種を並べたものです。

右のPro機はDVDマルチドライブ搭載機の最後の世代にあたるので本体の厚みがだいぶあり、重量もあったのですが、

今回の機種はDVDドライブはおろか、USB-C端子が左側に2つ、右側にイヤホーン端子があるのみですごく薄くなっています。

新旧MacBook。右はMacBook Pro Mid 2012(intelチップ)、左はMacBook Air M1 2020(Appleチップ)
新旧MacBook。右はMacBook Pro Mid 2012(intelチップ)、左はMacBook Air M1 2020(Appleチップ)

10年ひと昔

10年ひと昔とはよく言ったもので、写真の2台を使ってみた限り少なくとも画像の処理スピードに関してはAirの方が倍以上早くなっている感じです。

動画についても今後処理する作業が出てくるのでどれくらい早くなるのか、高画質になるのか楽しみではあります。

私にとっては懐かしの動画

ここからは前のMacBook Proを導入するきっかけになった動画の一部を載せてみます。

私の友人テツロウハナサカさんが歌っているところです。

テツロウハナサカ『旅は続き菜の花が咲く』@泰平寺
テツロウハナサカ『ありがとう』
テツロウハナサカ 懐かしのルツボックスライブ

いずれも2012年撮影・編集したものです。

それから10年。

撮影機材も編集するパソコンも職人も進化しています。

ついでに

私が最初のブログ記事を書いてから今年で10年目を迎えます。

これを機にこれまで何度か当ページはリニューアルしました。

また、今年からは本格的にレンタルサーバーを借り、独自ドメインを手に入れました

ということでこれまで書いた過去記事や放浪記も含め編集し直そうと作業しているところです。

史跡 指宿市 指宿枕崎線 放浪記 歩く 温泉 鉄道

山川製塩工場跡

前回の記事で大山駅について触れたのですが、今回は当駅より直線距離約2kmほどのところに現存する史跡とういうか歴史遺産を見ていくことにします。

山川製塩工場跡

ここでは昭和18年頃から約20年間、温泉熱を利用した製塩事業が行われていました。塩はタバコなどと同様に専売品ではあったのですが、第二次世界大戦時時には塩の輸入のストップから需要が急激に逼迫し、公益専売制度についても機能不全に陥り、1944年(昭和19年)より自家製塩制度を認めることとなりました。

※参考

ちなみにこの記事を書くまで日本は周りが海に囲まれているので昔から塩には困ることなかったはずだ思い込んでいましたが、実は海水中に含まれる塩分の濃度は3%であり、そこから煮詰めないといけないので非常に手間がかかること、また、雨が降りやすいので天日干しだけでもほぼ不可能、岩塩の採れるところがないので工業用の塩を含めると、現在でも日本の塩の自給率は11%(2019年)で残りは輸入に頼っているそうです。

製塩工程

下の写真からして左半分が塩田で海水をぶちまけて塩分を濃くする作業、右手にある水槽に塩田で濃くなった砂を入れて濃い塩水を作り、中程にある温泉(地熱)で濃くなった塩水を煮詰めて塩の結晶を作る。という流れではなかろうかと推測しています。

製塩工場跡全景。左手は塩田、中〜右側にて海水を煮詰める作業をしたものと考えられる。
製塩工場跡全景。左手は塩田、中〜右側にて海水を煮詰める作業をしたものと考えられる。

50数年前には操業停止したにもかかわらず、熱源自体は今でも変わらず出ているので製塩自体は可能なのかもしれません。

製塩工場跡の奥の方には地熱の湯気が今でも濛々と立ち込める。
奥の方には地熱の湯気が今でも濛々と立ち込める。

過酷な作業

ただし、海水を海岸から塩田まで持ち上げる作業、塩田に海水をまく作業、塩田の砂を回収して濃い塩水を作る作業、塩水を煮詰める作業いずれの作業も肉体労働の重労働であるのは間違いなさそうです。しかも非常に熱い熱源があるので危険を伴う過酷な作業でもあります。

塩田から集められた砂はこの辺りで煮詰められていたのだろう。鰻温泉で見かけたスメ(蒸し器)のようにも見える
塩田から集められた砂はこの辺りで煮詰められていたのだろう。鰻温泉で見かけたスメ(蒸し器)のようにも見える。

鮮やかな色合い

天気によっては写真のような水槽の水面反射をみることができます。まるでウユニ塩湖みたいですね。

空に浮かぶ雲が水面に反射している。この水槽に塩田で濃くされた海水が集められていたのだろうか。
空に浮かぶ雲が水面に反射している。この水槽に塩田で濃くされた海水が集められていたのだろうか。

今ではすぐ近くに”たまてばこ温泉”という絶景の温泉がありますので、そこに行った際はこちらの製塩工場跡を訪れてみるのもいいかなと思います。夕暮れ時は下のような光景が見られるので特にお勧めします。

夕暮れの製塩工場跡(塩田)。絵になるのは夕時か。
夕暮れと製塩工場跡。絵になるのは夕時か。

おまけ、製塩工場跡の近くには通称スヌーピー山と呼ばれる(スヌーピーが寝ている姿に似ていることが由来らしい)竹山という、中国の水墨画に出てきそうな山もあります。

通称スヌーピー山と呼ばれる竹山。スヌーピーが寝ているように見えるらしい。
通称スヌーピー山と呼ばれる竹山。スヌーピーが寝ているように見えるらしい。
指宿市 指宿枕崎線 放浪記 歩く 街並み 鉄道 雑記

大山駅(指宿枕崎線)

新年のご挨拶がわりに

皆様、こんばんわ。

2022年も始まりすでに1月も半月が過ぎようとしていますが、みなさまどのようにお過ごしでしょうか。

昨今の事情によりなかなか外出することができなくなっておりますが筆者はなんとか生きております。

昔は年のはじめになると今年の目標をSNSやブログに残していましたが、だんだん歳をとるにつれて自由に使える時間が少なくなってきているのをひしひしと感じております。

時間はあるけど書くネタは無い→書きたいネタはたくさんあるけど整理する時間が無い

状況なのですが、ネタの種類は考慮せすとりあえず整理できたものから順に上げていこう思います。

本年のネタ

今年取り上げる題材1つの柱は指宿枕崎線山川駅〜枕崎駅間の通称指宿枕崎線末端区間の各駅について触れていく予定です。

本題の大山(おおやま)駅について

今日は山川駅のすぐ隣にある大山駅について見ていきましょう。

鳥取県米子市に伯耆大山駅(ほうきだいせん)駅がありますが、指宿枕崎線の大山駅は普通に「おおやま」と読めば大丈夫です。

ちなみに、九州人の私は伯耆大山駅は初見で読めなかったです。

南隣の西大山駅は本土最南端の駅としてとても有名で、多くの観光客がいたりお土産物屋さんがあったりしますが、当駅・大山駅ではそんな様子は一切ありません。

駅の入り口はどこ?

下の写真から分かることが。

明らかに駅の入り口がどこにあるのかわからないのです。

この踏切の左手に狭い道路のようなものががあり、そこが駅の入口に相当します。

大山駅ホームは見えるけど、入り口がわからない。
大山駅ホームは見えるけど、入り口がわからない。

大山駅のホームはこのような作りです。単式ホームですが駅の前後にカーブがあるのがわかります。

写真左手奥にはバラスト(石など)保線用の資材が置かれていますが、ひょっとしたら列車行き合いができるような設計にも対応できるようにしたのでしょうか?

(隣の山川駅では終点設定の列車も多数あり、列車行き合いができます)

大山駅ホーム。行き違いもできるように設計されていたのだろうか。

かなり前に記録した写真なので記憶が定かではないのですが、駅の奥にはバラストや枕木、レールなど保線用の材料が置かれていたような気がします。

列車の揺れも激しいけれど、保線作業は定期的に行われているようです。

大山駅ホームから山川駅方面を臨む。
大山駅ホームから山川駅方面を臨む。

これらの写真を見る限り駅周辺には何も無さそうなのです。

地図を見ると

しかしながら、国道沿いには高校や住宅地もあるので一定の利用客の見込みはありそうですが…路線の構造的に1日あたり列車の本数が下り7本、上り8本区間なのがなんとも言えないところです。

今後の展望を考えてみる

どうすれば今後指宿枕崎線の末端区間が利用しやすくなるのか考察についても随時述べていく予定でいます。

ちなみに大山駅の場所は山川方面より国道226号、大山交差点から海側すぐに踏切があり右を見ると一番上の画像のようなホームらしきものが見えます。当駅の駅名標を撮り忘れていますが、mapには駅名標載っているみたいです。

史跡 寺社仏閣 指宿市 放浪記 開聞岳

池田湖の黄金鳥居

菜の花と開聞岳

年末も押し迫った今日この頃ですが、指宿市内の各地では12月に入るとすでに菜の花が咲き始めております。

というのは年明け早々「指宿なのはなマラソン」が開催されるため、コース沿いに菜の花が植えられています。

まずは定番のアングルから池田湖畔にて菜の花と湖と開聞岳の3点セットから。

池田湖畔にて菜の花と開聞岳
池田湖畔にて菜の花と開聞岳

ここまではよくある光景なのですが(多分)、ここから先はあまり馴染みがない光景が続くと思います。

季節感わからん

季節感がよくわからなくなるものから。

下の写真をご覧ください。少なくとも私は菜の花とコスモスが同時に咲いているのを初めて見ました。

場所は池田湖畔にあるえぷろんはうす池田の近くにて。今年はコスモスを見に行く機会がなかったので無理かなと思いましたが、まさかここで菜の花と同時に見られるとは予想していなかったです。

菜の花とコスモス。
菜の花とコスモス。

もう一点、予想していなかったものがあってそれはコスモス畑のなかに1輪のひまわりが咲いていたことです。

コスモスとひまわり。
コスモスとひまわり。

これで夏と秋と春の象徴である花が1箇所で揃うという珍しい光景ではありました。(撮影日2021/12/15日現在)

コスモスと菜の花と池田湖。開聞岳を添えて。
コスモスと菜の花と池田湖。開聞岳を添えて。

未確認生物?

まあ、噂によると池田湖にはイッシーと呼ばれる恐竜なのか怪獣なのかよくわからない未確認生物が生息しているらしいです。

池田湖で生息しているらしいイッシーと云われる何か。
池田湖で生息しているらしいイッシーと云われる何か。

ようやくここから今回のタイトルに関わる話題になります。

龍神伝説

池田湖には昔から神の御池と呼ばれており、龍神伝説もあります。

「往昔,池田村の内,池端門の農夫四郎といへる者の祖先某,一日,某家の婚礼に往くとて池辺を通行せしに,人頭龍身なる者,水渚き菰蒲の叢中に臥居たりしかば,某,短刀を抜きて彼の龍の首を斬る。龍,傷つき紅血を散して水中に入る。其の夜,某,俄かに病んで死す。某の妻,又,俄に病をうけ,狂言して曰く『我は此の池の龍王なり。我を殺せし故に汝が子孫を悉く絶すべし』と。」

その後親族が社を建てて罪を償うと謝罪すると龍王は怒りを鎮めて妻の狂気も治ったそうです。その社が今の池王明神にあたるそうです。

私が小さかった頃、親にこの池に落ちると死ぬと云われていたこともあり恐れ多いイメージが今でも残っております。

パワースポット?

さて、先ほどの話で出てきた龍神と関係するのかどうかはよくわからないのですが、池田湖の道沿いにパワースポットと書かれた謎の立て看板が何枚か出てきます。その看板通りに車を進めると下のようなものが見えてきました。

黄金鳥居と開聞岳。鳥居左手には昇龍が鎮座している。
黄金鳥居と開聞岳。鳥居左手には昇龍が鎮座している。

いわゆる黄金の鳥居が見えてきました。アングルによっては鳥居の中に開聞岳を収めることもできます。鳥居の左手には龍神伝説にちなみ昇龍も鎮座していました。

ではなぜここに金の鳥居があるのか?

かつてこの地の近くに大谷鉱山がありました。この記事を書くにあたり初めて知った鉱山なのですが、1844年発見。、銀、亜鉛が採れたそうです。ただ、当時の技術では採掘が困難で4年後に休止、明治になった1887年に採掘再開したものの第二次世界大戦開戦後には閉山したそうです。金の鳥居は近くの住民により大谷鉱山があったことを語り継ぎたいという思いから建てられたそうです。

黄金鳥居をメインにして開聞岳を眺める。
黄金鳥居をメインにして開聞岳を眺める。

金運アップ?

鳥居傍にある昇龍の中はこんな感じでした。宝くじ等載せれば当選確率アップするのでしょうか?

黄金鳥居の傍にある昇龍の中身。
昇龍の中身。
黄金鳥居の脇にある登竜。金運上昇するのだろうか。
金運上昇するのだろうか。
黄金鳥居の近くには金色のベンチも供えられており、ここから池田湖と開聞岳を眺められる。
金色のベンチも供えられており、ここから池田湖と開聞岳を眺められる。

他にも池田湖周辺には面白い看板や施設も多々あるので訪れるのにはおすすめのスポットです。

という季節感わからない、それと初めて知った歴史やパワースポットらしきものを載せて今年のクリスマスイブ(すき)は締めようと思います。

南九州市 放浪記

大根やぐら

大根やぐらとは…

薩摩半島や大隅半島の一部地域(南九州市や南大隅町)、宮崎県では冬場(12月〜1月のあいだ)になると下の画像のような光景が見られます。この写真は南九州市頴娃町のどこかの農道沿いにて。

干されているのはすべて大根。

いわゆる大根やぐらと呼ばれるものです。要するに三角形に組み立てられた櫓に大量の大根を干すことです。

大根を干すこと(寒干し)自体は全国各地で軒先や長い竿に吊すのでそれほど珍しいものではないのですが、

畑の中に長さ数百メートル、高さ7~8メートル、10段くらいの横棒が渡された櫓が組まれており、その横棒に大根がびっしりと吊るされている光景は圧巻です。

なぜこの地にあるのか

おそらくこの地が大根を栽培するのに適しているのと、海に面しているので海風を浴びることで寒干しがしやすいことで大根やぐらが発祥したのでしょう。

大根やぐらの名の通り。本当に櫓の形となっている。
本当に櫓の形となっている。

櫓の中はトラックが通れるほどの幅があるので、干し上がった大根はトラックの荷台に落とせば大丈夫かと思われます。

夕陽に照らされた大根やぐら。
夕陽に照らされた大根たち。
しっかり干されると水分が抜け美味しい沢庵になる。
しっかり干されると水分が抜け美味しい沢庵になる。

干し始めてから約10日ほどで水分は抜けるそうです。辛みが消え、旨味が増えるそうな。

最後に開聞岳と大根やぐらの2ショットで締めようと思います。

開聞岳と大根やぐら。
開聞岳と大根やぐら。

2022年春追記。

個人的には青空と大根やぐらの2ショットが撮りたかったのですが、念願かなって撮れる機会がありました。

青空と大根やぐら。
青空と大根やぐら。

宇宙 薩摩川内市

藺牟田池の落羽松

紅葉シーズンにむけて

おそらく、これから紅葉シーズンになっていくと思われますが、今年は時間的に見に行けそうにないのでこれから鹿児島県内で紅葉見物をされる方がいらっしゃれば少しでも役に立つようなことでも書こうかなと思います。

今回の場所は薩摩川内市の祁答院町にある藺牟田池です。春先は桜、秋は紅葉、また外輪山に囲まれたカルデラ湖であるため、登山の練習あるいはハイキングのコースとしても有名ではあります。(私も以前、韓国岳に登る練習で外輪山に登ったことああります)

下の写真は藺牟田富士こと飯盛山です。見事な三角形なのですが、頂上付近は平らになっており、休憩もできるようです。

飯盛山や竜石に関してはこちらのリンクにある伝説参考にしてください。

ちなみに飯盛山にはUFOも着陸したとういう噂が・・・(信じるか信じないかはあなた次第です)

飯盛山。藺牟田富士とも呼ばれる。紅葉が映える。
飯盛山。藺牟田富士とも呼ばれる。
竜石。この写真のみ初夏撮影。
竜石。この写真のみ初夏撮影。

藺牟田池の紅葉に関してはいわゆる楓系も有名なのですが、下の写真の水辺に生えている木の方が珍しいといえば珍しいのです。話逸れますが、この写真には現在使用されていない宿とプールも写っています。

落羽松(ヌマスギについて)

では、この木はなんの木でしょう?

池のほとりに生える木と廃墟。紅葉が進んでいる。
池のほとりに生える木と廃墟。

それではここからが本題です。先ほどの木とは”落羽松(ラクウショウ)”またはヌマスギと呼ばれます。

この木は北アメリカ原産の落葉針葉高木で、日本にも公園などに移植されています。特に福岡県篠栗町にある篠栗九大の森(演習林)のものがとても有名なのですが、実はここ鹿児島の藺牟田池にも数本植えられております。

落羽松。沼地に適している。
落羽松。沼地に適している。
夕陽に照らされる落羽松。紅葉が一段と目立つ。
夕陽に照らされる落羽松。

上2枚は樹の全体を2方向から写したものです。夕陽に照らされているので赤が強く出ます。

青空とのコントラストも気に入っています。

気根を中心にしたアングル、写真の色調整は好み次第

下3枚は根元を中心にしたものです。幹の周りに気根があるらしく湿地や沼でも枯れることなく生育できるのです。

撮影は夕時だったのですが、色加減を調整するのに迷ってしまい、元は同じ画像ですが全体的に黄赤に振ったものと葉っぱの赤みを強くしたもの、湖の青を残したものの3パターンのどれがいいか?好みは分かれそうですね。

落羽松の紅葉。黄赤系。
黄赤系。
落羽松の紅葉。葉の赤みを強調した系。
葉の赤みを強調した系。
落羽松の紅葉。湖の青を残した系。
湖の青を残した系。

また、写真に夕日を取り入れた場合も周りの青空を残して葉の赤みを強調させるのがいいのか、定番の全体的に真っ赤にさせるのがいいか、こちらも色調整に迷うところです。

落羽松の紅葉。夕陽を混ぜて。湖の青は残したもの。
夕陽を混ぜて。湖の青は残したもの。
落羽松の紅葉。こちらは全体的に黄赤に振った画像。
こちらは全体的に黄赤に振った画像。

今回はこんなところでしょうか。今年の見頃はもうそろそろじゃないでしょうか。

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