先日、表現についての考察1、
という記事を書いたのだが、今回はその続きに相当する。
昨年、私は素人ながらとある動画を撮影、編集する機会があった。
編集しながら、
”同じ素材でも、編集者の意図によってどんなことを伝えたいのかが変わる”
と気づいた。
実は、一昨年あたりから、個人的に
”日本の大手マスコミの報道の仕方はおかしい(正確なことが伝わっていない)のではないか・・・!?”
と、 思うようになり、自分で映像を撮ってみて、なるほどなと思った。
受け手側からみると、
”ただ流されている情報を鵜呑みにしてはならぬ”
ということになる。
このエピソードをFBに投稿したところ、
”義務教育のカリキュラムに表現という教科を入れてはどうか?”
というコメントを頂いた。
義務教育で
”表現”
という教科を取り入れて欲しいなと思った。
表現という意味について、当初私は、
”自分の主張したいことを好き勝手にすること”
と認識していた。
しかし、よくよく考えると、
”伝える相手がいて、その相手に対してちゃんと主張、想いを伝えること”
が大事だということに気づかされた。
すなわち、
”自分の主張したいことを好き勝手にすること”
を、
”運動”
と言い換えることができ、
”伝える相手がいて、その相手に対してちゃんと主張、想いを伝えること”
は、
”表現”
と、言い換えることができそうだ。
次回へ続く。
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