これまで当ブログでは指宿枕崎線の駅や沿線にある名所について触れてきしたが、今回は始発駅の鹿児島中央駅から終着駅の枕崎駅まで乗り通した車窓の記録になります。
ぼちぼち更新していきますので、お時間がありましたらご覧になってください。
写真はインスタでも更新しております。
鹿児島市
まずは鹿児島中央駅のホームから。
画像の3番乗り場に停車中の列車は日豊本線国分駅→鹿児島中央駅の6753D。
その奥、4番乗り場には「指宿のたまて箱」1号指宿行きが停車しています。
指宿のたまて箱号の出発を見送った後、2番乗り場から10:02発の鹿児島中央発枕崎行き1333Dに乗車しました。
鹿児島中央駅を出発した列車は鹿児島車両センターを横目に郡元駅、南鹿児島駅と進みます。
南鹿児島駅手前から宇宿駅にかけ鹿児島市電の線路が並走するように敷かれています。
南鹿児島駅→宇宿駅

このあたりでは鹿児島市電と指宿枕崎線の踏切を供用して使っています。
タイミング合えば、列車から市電を見ることも十分にできるみたいですね。
なお、私が乗車した1333D列車は旅行者や地元の方々で立ち客が出るほど乗客がいました。
(2両編成で計100名くらいでしょうか)
慈眼寺駅→坂之上駅
宇宿駅を過ぎると列車は市電の線路から少し離れます。
谷山電停付近から高架区間に入り、列車の揺れはほとんどなくなります。
今回は乗客が多くて撮らなかったのですが、谷山駅に入線する際列車の後方から桜島が良く見えます。
谷山駅→慈眼寺駅間も引き続き高架区間となり、慈眼寺駅を過ぎると高架は終わり、坂を登って行きます。
写真は坂を登る途中の1コマです。
これまで住宅地の中を走っていましたが、少しだけ緑の中を走り抜けます。
昔、同区間で以前乗車した時よりも草木が伸びているようで、シャッターチャンスが減ってきたような感覚があります。
なお、同区間において動画でも記録に残したのですが(どこかで取り上げようかなぁ)キハ47とキハ200だと登坂性能が違ってて、キハ47の方が車窓撮りやすかったですね。
すなわち、キハ47はキハ200に比べて速度が遅いようです。
【参考】キハ200-565編成慈眼寺駅から坂之上駅間の車窓です。
坂之上駅→五位野駅
画像はないのですが、動画では記録していました。
列車は主に住宅街と国道沿いを走ります。
途中影原の交差点(仏像が見えて陸橋を潜ったところ)国道は225号線から226号線へと変わります。
見える大きな仏像は谷山大観音と呼ばれているようです。
それと動画の音をよく聞くとわかるのですが、坂之上駅出発時点ではレールのジョイント音がほとんど聞こえてこないのに対し、途中から音がよく聞こえるようになってきます。
ロングレールから普通の短尺レール区間へと変化し、列車の揺れも変わります。
五位野駅→平川駅
坂之上駅〜五位野駅の住宅街と丘を超えればトンネルと坂を下って海沿いに出ます。
動画もありますので、ご覧になってください。
平川駅→瀬々串駅
住宅はほとんどなく、国道226号を並走し時折飲食店がある区間になります。
国道より山手を走るので車窓を妨げるようなものはあまり無さそうですね。
(時たま鉄道の通信ケーブルや電柱が視界に入りますがしょうがない。)
動画になります。
次の瀬々串駅から鹿児島市でも旧喜入町の区域に入ります。
瀬々串駅→中名駅
車窓には桜島が見えますが、
慈眼寺駅→坂之上駅間で見えた桜島の画角とは異なり背後の霧島連山は見えなくなっています。
動画でも、途中五位野駅→平川駅以来のトンネルがあります。
中名駅まではキハ200系でも記録しています。
中名駅→喜入駅
ENEOS喜入基地の入口が一瞬車窓に見えます。
全景を車窓に収めたいけど、なかなかシャッターチャンスがない。
ここでは日本国内の石油使用量約2週間分に相当する原油735万キロリットルを貯蔵することができるそうです。
現在はタンクにENEOSのロゴが描かれていますが、その昔は日本石油の蝙蝠マークがデカデカと描かれており子供心に怖かった思い出もありました。
動画でも。
中名駅を過ぎると、一旦海沿いから離れたところを走行します。
喜入駅→前之浜駅
喜入駅も少し海沿いから離れた住宅地にあり、駅を過ぎた列車は住宅地の中を少し走ると、車窓に緑が見えてきます。
海岸から離れても桜島はまだ見えているようです。
ちょっと表現しづらいのですが、鹿児島湾はカルデラ地形と言われており喜入駅周辺では画像に写っている八幡川の下流域以外切り立った崖が迫っています。
そのため、列車はこの先崖を抜けるためトンネルに入ります。

動画にも記録しています。
車窓に見える桜島。背後には霧島連山も姿を現します。
なお、この区間では本年の6月20日、線状降水帯の発生により土砂流入があったため速度制限25km/hがかかっております。
そのため、すべての列車はゆっくりと走ります。
なお、画像左手には先日触れたENEOS喜入基地も見えています。
前之浜駅→生見駅
前之浜駅付近で集落内を抜けた後、車窓は再び海と桜島、大隅半島が見え、アングルによっては海の上を走っているようにも感じられます。
長きにわたって車窓に見える桜島、そろそろ見納めになります。
動画になります。
途中、天然記念物であるメヒルギ群落の北限地や生見海水浴場の姿があります。
指宿市
生見駅を過ぎると列車は指宿市に入ります。
生見駅→薩摩今和泉駅
知林ヶ島は、鹿児島県指宿市西方にある島で、干潮時に陸地と砂州でつながる陸繋島(トンボロ)です。
夏場の干潮時には島まで渡ることができます。
車窓奥から大隅半島の南大隅町、知林ヶ島、岩本漁港、鹿児島県水産技術開発センター、今和泉島津家屋敷跡いわゆる篤姫ゆかりの地が見えてきます。
動画もご覧ください。
薩摩今和泉駅

喜入駅と指宿駅の中間にあたり、近くには指宿商業高校や今和泉島津家の別邸跡があります。
2008年、天璋院篤姫をテーマにした大河ドラマ「篤姫」が放送された際、車内でも篤姫のことが放送案内されていました。(現在は無し)
余談ですが、私が就職先の福岡から地元である鹿児島に戻ったきっかけのひとつでした。
ここで今回乗車した車両の車内の様子を少々。
鹿児島中央駅で乗車した際は、立ち客も多くて車窓の動画を撮影するのも躊躇しました。
慈眼寺駅を過ぎたくらいから立ち客はいるものの、身動きが取れないほどではなくなりました。
上の写真は薩摩今和泉駅停車中に撮ったのですが、指宿駅ぐらいまでは座席埋まっていて、立ち客もある状態でした。
車両キハ47 8072については山川駅のところで触れようと思います。
宮ヶ浜駅

まもなく宮ケ浜駅
車窓には海と古い防波堤がみえてきます。
車窓に見える防波堤は宮ケ浜港防波堤と言われ、天保4年第27代薩摩藩藩主島津斉興のころに建設されました。
宮ヶ浜防波堤のブログはこちら。
防波堤が作られた理由は「宮ヶ浜の海は遠浅で船を安全に停泊させるところがなく台風で船が転覆する恐れがあった」だったからだそうです。
宮ヶ浜駅に着くと車窓から「ようこそ!長渕剛ゆかりの地宮ヶ浜へ」の横断幕が掲げられているのが見えます。
2006年、指宿市が合併し誕生した際に長渕剛アニキが散文詩を贈ったそうです。
実際、「鶴になった父ちゃん」という歌では宮ケ浜の名前が出てきます。
別日撮影した石碑になります。
宮ケ浜駅→二月田駅
宮ヶ浜駅を過ぎると列車は海沿いから離れ、内陸を走るようになります。
車窓には指宿のダイヤモンドヘッドと呼ばれる魚見岳が見えてきます。
その昔、漁師たちが山の頂上から魚の影を確かめたといわれています。
春になると桜の名所でもあり、車で頂上まで登ることもできます。
なお、南東側は断崖絶壁となっており、溶岩や火砕岩が露出しています。
二月田駅
そのため、花と列車の写真が撮れる人気スポットとなっております。

薩摩今和泉駅から指宿駅までの動画になります。
指宿駅→山川駅
87.8kmの長い鹿児島中央駅から枕崎駅までの旅、ようやく指宿枕崎線の中間地点を過ぎたところに入ります。
先ほども触れたとおり画像はないのですが、二月田駅付近から指宿駅を過ぎてしばらくの間、列車は内陸を走ります。
その後、山川駅近く山川湾の入り口あたりから少しの間、海沿いを走ります。
上の写真は国道269号線とクロスしたあたりになります。
画像の中央からやや右寄りのところに山川駅があります。
駅までは山川湾の海と急な崖の間を走ります。
また、画像やや左よりに山川造船鉄工所もみえてきます。
山川港や「指宿鰹節」ブランドのかつお節工場があります
山川入船町、山川新生町、山川朝日町、山川山下町、山川新栄町といった住宅地や工場がある地域になります。

佐多岬はまだまだ南にあるので見えないようです。
まあ、佐多岬の画像はあるのでどこかで記事にする予定です。
指宿駅から山川駅までの動画です。
山川駅
後日記事にしようと思いますが、山川駅は指宿枕崎線でも主要駅となります。
指宿駅での長時間停車はなかったのに代わって、停車時間はここで列車は小休止するようです。
乗務員さんの交代が行われるのでしょう。
薩摩今和泉駅のところでも車内の様子をあげたのですが、山川駅で少々停車時間があったので、車内の様子をみてみることにしました。
キハ47 8072
元々はキハ47 72として1979年に富士重工で製造、直方気動車区に新製配置されました。
1988年に冷房化改造、2007年に機関置換により8072へと改番。
2019年より鹿児島車両センターへ転属。
大まかなとしてはこんな感じです。
香椎線の運用で長くついていたのもあって、窓割りに比べてボックス席やロングシートの座席が少なくなっています。
座席撤去車といえば813系200番台の転換クロスシートを一部撤去して座れないとういクレームが多発しましたが、国鉄車でもキハ47では車番によって座席が少ないのがいるので、座れるかどうかという点では当たり外れがあるかなああと思います。
同様に717系電車でも200番台の後期車(205-207編成)、901編成も座席少なかったですね。
それと、元々北部九州にいたのもあって、座席のモケットの色が青の市松模様になっているのも本車両の特徴です。
鹿児島車両センター所属や改造を受けた車両の座席は茶色の市松模様になっています。
後でキハ47 8077の車内を載せる予定なので、参考にしてみてください。
網棚と冷房装置、補完するように扇風機が残されています。
元々は非冷房車でした。
運転席の様子です。
高運転台のパロラミックウインドウとなっています。
助手席の座席は残っているようです。
このため、2段上昇窓にも関わらずここの部分の窓は固定されています。
それと、ワンマン化改造時にここの区画にあったロングシートの座席も撤去されました。
土曜日の1333D、なんだかんだ言って枕崎まで乗り通す方々多そうですね。
ボックスはまだ埋まっている感じでした。
山川駅→大山駅
ここから先、枕崎方面に向かう列車は1日7本、そのうち1本は途中の西頴娃駅までとなり、列車の本数は激減します。

旅館の建物の先に山川港があります。
この先、1060mの長さがある山川トンネルに入り、列車は進行方向を西〜南西に変えて走ります。

竹山の近くに「たまて箱温泉」や山川製塩工場跡があります。

しばらく畑の中を走ると右、左と列車はカーブし大山駅に到着します。
なお、進行方向右手(山側)に住宅地があります。
大山駅付近の様子は下に載せた動画の方でご覧ください。
大山駅→西大山駅
列車は少し南に進んんだ後、西へ進みます。
ここから先の区間は徐々に開聞岳と接近してきます。
そのため、だんだんと大きく見えることがわかります。
※山川駅→西大山駅の区間について動画でも記録しています。
写真では記録できなかったのですが、フェリーなんきゅうが入港する様子が写っていました。
西大山駅
列車はJR最南端の駅、西大山駅に到着します。
昼間の一部列車は当駅で2分停車するので、停車中に外に出て列車を撮影する時間はありそうです。
ただし、ホームには多くの観光客がいるので乗り遅れないように気をつけましょう。
今回は駅のホームからでは撮れないアングルを狙ってみました。
後面展望を撮りたかったのですが、キハ47は貫通扉付近からじゃないと見れなさそうですね。
薩摩川尻駅
西大山駅を過ぎると列車は西北西に向きを変えて進みます。
薩摩川尻駅は西大山駅に次いでJRで南にある駅となります。
ちょうど車窓に開聞岳が見えるアングルとなってきました。
マンゴーの直売所があるようです。
薩摩川尻駅→東開聞駅
だんだん開聞岳に近づくのですが、

ただし、東開聞駅に近づくと山頂だけが見えて、山の残りの部分は隠れてしまいます。
東開聞駅→開聞駅
開聞岳に近過ぎて入りきらないないだろうと思って写真では撮っていないのですが、どうやら車窓からですと入り切るスポットがあるようです。
近日中に動画あげる予定です。
開聞駅→入野駅
開聞駅を過ぎると開聞岳から離れて行きます。
途中、列車は一旦南下した後北西方向へ急カーブして進みます。
写真は撮っていない代わりに、動画を確認したら曲がる直前あたりの一瞬ですが、開聞岳を大きく見ることができそうです。
その後、少し高台を走行するため所々で東シナ海が見えるようになります。
入野駅→頴娃駅
列車からは開聞岳の下半分が見えます。
入野駅付近から列車の後方に開聞岳を見ることができるのですが、よく揺れる列車内から頂上を見るのは難しいかもしれません。
と同時に海も見えるので海を見ようか開聞岳を見ようか迷ってしましまいます。
南九州市
頴娃駅→西頴娃駅
頴娃駅を発車してまもなく、コスモスで有名な集川橋梁にさしかかります。
今回、2024年の11月初旬に乗車したの理由は、一度は集川橋梁を走る列車上からコスモス畑を見たらどのように見えるのか撮れるのか試したかったからです。
ちょうどコスモスが見頃を迎えており、多くの撮影者で賑わっていました。
枕崎市
しばらくお待ちください。
最後に動画でまとめ。
下り1333D列車、慈眼寺駅から山川駅までの動画になります。
今回はこういったところになります。
ありがとうございました。
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