ここのところ鉄道関連の記事が続いたので、

今回は少し趣旨を変えて史跡関連について載せていこうと思います。

鹿児島市内に古くから残る茶室

といえば、仙巌園にある茶室などを多い浮かべますが、

今回紹介する旧島津氏玉里邸庭園もなかなかの歴史があります。

園の歴史

1835年 島津斉興により造営される

1877年 西南戦争により焼失 久光により再築に着手

1879年 玉里邸完成

1887年 久光国葬(後述の黒門や国葬道路が造られる)

1945年 太平洋戦争により再び焼失

1951年 鹿児島市が玉里邸を買収

1959年 鹿児島女子高校が玉里邸跡地に移転

1974年 鹿児島市の記念物(名勝)に指定

2007年 国の名勝に指定

宮ヶ浜二月田温泉に続き、ここでも島津斉興の名前が出てきます。

個人的には戦国時代の義弘や貴久、幕末の斉彬や久光のように名は知られていないイメージがあります。

(または、幕末を取り扱う大河ドラマでお由羅騒動で名前が出てくるのでそこまで良いイメージがないのかもしれません。)

ただ、こうしてみると、斉興時代の建築遺産が結構残っていることが良くわかります。

園内

続いて、玉里邸庭園の園内を紹介していこうと思います。

玉里邸庭園の茶室と下御庭。
旧島津氏玉里邸庭園の茶室と下御庭

茶室

茶室全景。
茶室全景。

茶室全体の画像はご覧の通りです。

間取りについては詳しくないのですが、書院造りの客間6畳、次の間6畳、控の間6畳等から構成されるそうです。

旧島津氏玉里邸庭園茶室の中。書院造りになる。

下の画像、柱を見て思い出したことが。

雨戸返しだと思われる。
雨戸返しだと思われる。

知覧にある武家屋敷と同様に

「雨戸返し」

と思われるものが備わっていることです。

下御庭

こちらは庭園にあたる下御庭になります。

上2枚はiPhoneで、最後の1枚はデジダル1眼で撮影したものになります。

旧島津氏玉里邸庭園の下御庭
下御庭1
旧島津氏玉里邸庭園の下御庭
下御庭2
旧島津氏玉里邸庭園の下御庭
下御庭3

石灯籠

様々な形の石灯籠があります。
庭園内には様々な形状をした石灯籠があります。
旧島津氏玉里邸庭園の石灯籠
石灯籠1
旧島津氏玉里邸庭園の石灯籠
石灯籠2
旧島津氏玉里邸庭園の石灯籠
石灯籠3

磯石

画像右側には巨石が。
この画像右側には巨石が。

石灯籠以外にも、たて・横およそ3.5m、高さ3mの巨石があります。

この巨石は、磯の海中にあったものを53個に分割し運び込み、再びつぎ固められたものと言われてます。

石の上面には、柱穴が残されていることから、何らかの祠が祀られていた可能性があったものと考えられます。

(公園のパンフレットより)

黒門と国葬道路

最後に、現在は正門となっている黒門と国葬道路の写真になります。

元々の正門は長屋門のこと(現女子高の敷地にある)を指していましたが1887年の島津久光死去に際し、

国葬が執り行われることとなり黒門と道路が整備されました。

旧島津氏玉里邸庭園の黒門と国葬道路。

この時以来、黒門が正門として使われるようになりました。

景観に優れて歴史的にも貴重なもの(特に、鹿児島市内では歴史あるものが残っていない)であるため、

2007年7月26日、国の名勝に指定され、現在に至っております。

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