8月18日。
「今日はとりあえず西のほうへ向かって、松山に着ければいいな。」
この旅行を計画している段階から高松~松山間をはじめとして四国内の移動に関しては悩みの種だった。
四国は未知の世界であるのと、時刻表を調べている段階で高松~松山間を普通列車だけ使って移動すると半日以上かかりそうだということがわかったからだ。
本日利用する予讃線内のとある駅からの眺めが非常にすばらしい、と話を聞いたことがある。
かつて『男はつらいよ』のラストシーンに使われたり青春18切符のポスターに採用されたりしている。
欲を言えば、この場所に行ってみたいのだ。
ただポスターの写真からして電化されていないようにみえるのだけれど果たして松山までの区間内にあるのだろうか?
ちなみに、高松~松山間は電化されています。
今日は琴平方面へ。
ここだけみると昨日に続き本日は移動のみで終わるようにみえてしまうな。
名物の讃岐うどんを食べずに香川県から離れてしまうのか・・・。
と、思いきやちょっとした計画が。
昨晩改めて時刻表を検討してみたところ、琴平なら寄れそうだなということが分かったので琴平町に行ってみることにした。
実はそこに何があるのか全然知らなかった。
それと高松駅に行く前に朝の高松港にも寄ってみた。
かつてここから国鉄の宇高連絡船の発着場があったのだが、現在も岡山県の宇野行きや小豆島行きのフェリーが出ている。
小豆島行きフェリーの時刻表をもらってから駅に向かい琴平行きの電車に乗り込んだのであった。
高松駅から1時間ほどで琴平駅に到着。
駅を降りると○金の文字が多数見受けられる。
しかも金色だ。
何らかの宗教団体の総本山があるのかな。
多少四国の地理や歴史に関して知識がある人ならばここに何があるのかおわかりだろう。
そう、金刀比羅神社の総本部があるのだ。
金比羅神社へ。
航海の安全を祈願するため海上自衛隊や漁師をはじめ毎年多くの方が参拝にこられるそうだ。
何を思ったのか僕は重い荷物を駅のロッカーに預け、金刀比羅神社のある象頭山に登ってみることにした。
僕のほかにもロッカーに荷物を預けている人がいたなあ。
おそらく登山するのであろう。
チャレンジャーだな。
駅から15分ほど歩くと、参道が見えてきた。
お土産屋さんがいっぱいあるけれども見るのは後回し。
「杖の貸し出し」
や籠で登れるサービスの張り紙を見たとたん、登山するのはかなりきついのかなと覚悟した。
参道をちょっと歩くとさっそく急な階段が見えてきた。
杖借りればよかったかな。
いや、かえってじゃまになるからいいか。
体力ない僕にとってはきつかった。
途中、讃岐平野が一望できるところもあった。
だいぶ階段や急な坂を登ったことだ。
とはいえ、当時から山登りをするのは流行っていたらしく多くの人がいた。
しかも、意外なことに若い子が多かった。
昨年(2009年)ほどから“森ガール”や“山ガール”というファッションが流行しているらしい。
四国では登山するのにはちょうどいい山の高さなのかもしれない。
そうこうしているうちに重要文化財である旭社に到着。
荘厳な造りなのでここが頂上かと思ったが違うのだ。
本宮や奥社がある旨の立て札があった。
かつて、森の石松が「旭社の豪華さに感動し本堂と勘違いし本堂に参拝せず帰ってしまった」という言い伝えがあるほどだ。
当日の天気は晴れていた。
しかしながら夏場のせいかあいにく空は霞んでいた。
霞んでいなければ山を登った分最高の景色だったのだけど。
きついけれどたまには山登りするのもいいか。
30分ほど山を登ると頂上にたどりつく。
“こんぴらさん”にも多くの重要文化財があるらしい。
建物名を記録しておけばよかったと思うこのごろであるが、忘れてしまった。
上の写真を見るとたしか山頂には太陽電池で動く船の実物やタンカーや漁船、艦船など多くの船舶の写真が飾ってあることを思い出した。
宇宙船も船だということで日本初の宇宙飛行士である秋山豊寛氏の肖像画もあった。
頂上に着いたらあとは山を降りるだけだ。
本殿参拝後僕は山を下った。途中、宝物殿らしいものがあった。
当初は寄る予定ではなかったのだが、ふらっと建物に入ってしまった。
後から知ったのだが、どうやらこの建物は書院らしく、名前からして書院造りであるらしい。
建物の中に飾られていた屏風絵ならびに障壁画はどれも迫力があってすばらしかった。
この中には国宝も含まれていた。
「さすが本物は違うな。」
と、貴重なものを見ることができお金を払って中に入った甲斐があったなと思った。
ここから“こんぴらさん”の境内になる。飲み物欲しいところだ。
旧金毘羅大芝居
山を降りてちょっと参道からはずれたところに芝居小屋がある。
「旧金毘羅大芝居」だ。現存する日本最古の芝居小屋だ。
近くの金刀比羅宮には江戸時代から多くの参拝者が集まってくる。
そのため門前町には芝居や相撲などが興行されていた。
当初は芝居があるごとに仮の小屋を建てては壊すのを繰り返していた。
それだと効率が悪いのだろう。
天保6年、正式な芝居小屋の棟上げが行われ、翌年完成した。
明治以降、金丸座等に名称が変わり映画館にも使用されたのだが、いつしか廃館となり廃屋のようになっていた。
昭和28年にいったん香川県の重要文化財に指定されたものの昭和39年に解除されたのだが、昭和46年今度は国の重要文化財に指定された。
現在の場所に移築修復後、年1回、春先に二代目中村吉右衛門らそうそうたるメンバーによって「四国こんぴら歌舞伎大芝居」が開催されるようになった。
その後、平成の大改修が行われ今に至るのだ。
芝居小屋として第1部で触れた“嘉穂劇場”と似たような雰囲気はあるものの、古さは金毘羅大芝居の方が断然勝っている。
建物の内部、舞台裏へ。
僕自身まだ歌舞伎の芝居そのものはまだ見たことないのだけれど(九州だと福岡にある博多座で歌舞伎を観覧することができます)、今回、旧金毘羅大芝居の建物の内部を見学することができたので少々ご報告を。
歌舞伎の舞台裏が見えたような気がした。
写真の右半分(円形に切られた部分)は場面が変わる際、表裏転回する。
電気が行き渡っていない時期に建設されたからには、上の写真の廻り舞台は当然人力で回転するのである。
スッポン(切穴)も近くにあるのだ。スッポンも当然人力で揚げます。
おそらく上流階級の人達が見物していたのだろう。花道もみえる。
ちなみに、一階の座席は升席である。
大相撲の座席に似ている。
こんぴらさんや旧金毘羅大芝居を見た僕はすっかりお腹が減ったのであった。
讃岐うどん
ゆうべはファーストフードで晩飯を終わらせたので、今日こそは本場の讃岐うどんを食べなければ。
高松市内でうどん店を見つけることが出来なかったのだが、実はこんぴらさんに登る前一軒の食堂だったかしらうどん屋さんを見つけていた。
ということで、僕は参道沿いにあるうどん屋に入った。
いよい初の本場モノの讃岐うどんを食べることができる。
暑かったので当然のごとく“ぶっかけうどん”を頼んだ。
それはうどんに天かす、しょうが、がトッピングされており、その上から醤油をかけるのであった。
うどんのコシが非常に強いのだ。
「のどごしを楽しむ・・・それは蕎麦か。」
良く噛まないと麺が切れないのだ。
とはいえ、とてもうまい。
はじめての食感だった。
ついでに、博多のうどんについて。
僕が住んでいた博多はうどんの発祥の地であると言われている。
讃岐うどんとは全く性格が違い麺に全くコシがない。
箸で持つと麺がちぎれそうになる。
同じうどんとはいえ、両極端の違いがあるのだ。
興味のある方は一度お試しを。
讃岐うどんの店に比べ店舗数が少ないからなあ。
おまけ。
商店街で食後のデザートにソフトクリームを食した。
しかもしょうゆ味だ。
これがまたうまい。
意外なことに醤油のおかげで非常にコクがあるのだ。
また食べてみたいと思った。
こんぴらさんや芝居小屋の他に琴平の名所として、温泉(最近源泉に水道水が加えられていたことが発覚してしまった)や屋根つきの橋(鞘橋。神事の時のみ渡れる。おそらく一般人は通行不可。珍百景だろう。)、高灯篭(通りすがりに見たはず)などあります。
情報を知っておけば鞘橋は見ておけばよかったな。
14時近く、僕は琴平駅を出発した。
これから今回の旅行にて最長距離を移動することになるのだ。
阿波池田行き列車の発射時間も近かったのだが(この点については後述します)予定通り多度津行きに乗った多度津駅で乗り換えた後が長く感じた。
途中、愛媛県に突入。
伊予西条駅で乗り換え後松山駅へ向かうのだ。
と、簡単に書いているのだがここまでくるのに各駅停車を使うと4時間ほどかかるのである。
ここでJR四国の車両についてお話を。
多少マニアックな話になるかもしれないが個人的に感じた印象として、他のJRの車両に比べて私鉄または第三セクターの雰囲気に近い感じがした。
新造車の車両形式は4桁(例:2○○○、8○○○○など)の数字で表されており(国鉄由来の車両だと、モハ○○、キハ○○など)、座席の配置も1車両あたりロングシートとクロスシートの部分が点対称になっているというこれまでに見たことの無い車内、しかもトイレなしだ。
ロングシートの部分に座ると、真向かいに座っているクロスシートのお客さんの姿が目線に入るのだ。(
同座席配置の車両は九州でも最近登場しています。ただし、トイレつきですが)
それと九州と違い四国には2両編成のワンマン列車はないみたいで、2両の場合車掌さんが乗っているか、ワンマンの時は前1両のみ営業し、後ろ1両は回送車扱い(乗車できません)されるという変り種の運行方法だった。
僕が乗った当時は車両(ワンマンバスと同様後ろ乗り前降り)の入り口に立つとセンサーが反応し「整理券をおとり下さい」と音声が流れていた。
今はもうセンサーは使われていないそうです。
次章で出てくるのですが坂出→高松間で特急列車に乗車すると車内で特急券を回収されるのにはびっくりした。
伊予西条までは1両、松山までは2両編成だったはず。
比較的乗客も多く、松山までの移動時間4時間のうち半分くらいは荷物を手に持って立ちっぱなしだった。
つゞく。