石垣駅
2020年夏、私は石垣駅をはじめ指宿枕崎線の沿線各駅を訪れていたのですが、
残念ながら石垣駅(いしかき)に関しては下の画像1枚しか撮っていませんでした。
今回、記事にすることができたのはその後当駅の画像がそれなりに収穫できたので、
まとめていきたいなあと思い立ったところです。
まずは駅の構造から
先ほどの画像の通り、当駅は他の指宿枕崎線末端区間の駅と同様に1面1線の棒線駅です。
ホーム中程には古レールを使った上屋とベンチ、駅名標と名所案内があり、
特に変わったところはないようでした。(2020年時点までは)
特に、隣の御領駅や少し西寄りにある頴娃大川駅と雰囲気は似たり寄ったりだったと思います。
緑に線路が覆われないように、線路の左側に金網が建てられていました。
若干左にカーブしていますね。(ホームも緩やかにカーブしていた気がします)
春先だったのか、保線されたのかわからないのですが、
思ったよりも線路が草ボーボになっていなかったようです。
撤去。
実は、先ほどの駅構造についての説明、正確ではないところがあります…
というのは、先日投稿した白沢駅と同様、上屋がぶった切られました。
ただそれだけではなく、上屋とベンチの両方とも完全に撤去されていました。
とういことで2023年現在の石垣駅の全景はこうなります。
1番最初にあげたアングルと同じものは撮り忘れたのですみません。
砂利となっている駅前広場とホーム、駅名標、確認用のミラー、花壇があるという状態です。
駅名標など
石垣駅の駅名標はオリジナルデザインを採用しています。
開聞岳や水平線に見える三島村の島々はわかるのですが、
右上に描かれている建物については何をイメージしたものなのか見当がつきません。
こういったところで石垣駅についての紹介は終わろうと思います。
戸柱公園
先ほどの名所案内看板で登場した通り、ここからは戸柱公園について触れてみます。
伊能忠敬が絶景と云った、「番所鼻公園」と同様ここでも開聞岳が見られます。
その前に、気になる石碑がありました。
遣唐使船漂着の地の石碑
752年に唐に派遣された第10次遣唐使は753年11月16日、4隻で帰路に就くことになりますが、
754年4月18日、ここ石垣浦に漂着したようです。
この石碑は、1994年に建立されたみたいですね。
遣唐使の話が出てきたのに関し、第2船に乗船していた鑑真が上陸した坊津町秋目の画像もあるので、
どこかの機会で整理しなきゃなあと思うところです。
開聞岳と東シナ海
戸柱公園にはこれまで何度か訪れたことがあったのですが、
夕方だったり天候が悪かったりしてあまりいい画像が撮れていませんでした。
今年の春先、ようやく快晴の場面に巡りあうことができました。
快晴の戸柱公園で撮影できた画像をあげてみます。
この画像が撮れたので、個人的には満足しています。
松の木とのコラボはこれくらいにして、
今度は石垣駅の駅名標のイラストのようにフレームできるか試してみます。
何枚か撮ってみました。
まずは、
開聞岳とともに頴娃町の街並みが見えており、
瀬平自然公園や前原海岸も視界に入っています。
少し右に振ってみます。
海岸線は砂浜ではなくて、ゴツゴツとした岩肌となっています。
画像右手奥には、三島村の竹島が見えますが、
天気が良かったこともありさらに奥の方には屋久島町の口永良部島がうっすらと見えております。
屋久島も見えるのではないかなあと期待して現像してみましたが、さすがに現れませんでした。
(ひょっとしたら、大野岳の山頂からだと屋久島の姿も見れたかもしれませんね。)
このあたりのアングルが駅名標のイラストと近いのかなあ。
さらに右に振ってみます。
フレームの比率の関係で開聞岳は外れてしまいましたが、口永良部島、竹島、硫黄島の島影が見えています。
開聞岳、口永良部島、竹島、硫黄島、黒島の位置関係がわかります。
おらりに
今回画像はないのですが、石垣駅のある石垣地区は、
街並みが美しく映画「男はつらいよ 寅次郎真実一路」のロケで使用されたようです。
街並みについても記録に残してみようと思ったところですが、
今回はここまでにしようと思います。
ありがとうございました。
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