ホームページ引っ越し記念第1弾記事となります。
うまくまとまりそうにないので、昨日歩いた道すがらの思い出から記事にすることにします。
スタートは下荒田の松方橋から。
松方といえば
鹿児島で松方・・・といえば、第4・6代総理大臣松方正義 ということで、彼は下荒田が出生地であるのもあり、松方橋という名がつけられたみたいだ。
(松方正義で検索すると女好きというフレーズもで出てくるのが気になるところだが・笑)
リンク先のwikipediaの記事をみてもらえば分かると思いますが、現在の著名人ともつながりがあるそうです(驚)。
写真は松方橋にて。
甲突川の川岸にヤシと思われる木が育ちつつあった。
そういえば、私は見逃したけれど、このあいだ、橋の上で歌っていたなぁ。。。
http://tetsuronakamura.com/橋の上でライブ/
お昼の番組?
この橋を渡り通り沿いに歩くと、前々からすごく気になっているものがあった。
色々とコメントしたいところですが、やめときます。
癖が強い。
この看板にも驚き。
ここまでは前置きとういことで、ここからが本題。
私の生家のご近所ではあるけれど、ずっとずっと気になっていたものがあった。
気になるバス停。
がんがら橋
子どもの頃から橋というか地名としてありえないな・・・と思っていた。
実物の橋はどれかすらわからなかった。
が、やっと謎が解けそう。
橋の場所はツインプラザ南林寺と済生会病院に挟まれている道路で、平成8年頃まで清滝川に架かっていたそうな。
(今は暗渠になっているため、橋としての役目は終わっています。)
橋の由来
写真は大正14年に架け替えられたときの親柱で、元々は、
”ぐわんぐわらばし”
と呼ばれていたそうで、漢字で書くと”貫唐橋”だったのがいつのまにか”丸瓦羅”になったそうだ。
貫唐の由来は、藩政時代に唐(今の中華人民共和国)から帰化した人、
沈一貫がこの辺り広い土地を持ち、住んでいたことから沈一貫の貫と唐からとったとされる説がある。
沈一貫氏は、戦乱の唐を逃れて薩摩に来た人で島津氏の海外貿易にも関係し、
また医者として活躍したので、山之口町あたりに土地を与えられたということらしい。
ちなみに、松方橋→甲突町→がんがら橋→松原町→
というふうに道なりに進むと、銀座通り→天文館交差点→照国神社前
にたどり着きます。
以上、第1弾記事終わり。
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