8月15日、広島にて。
本日は広島からスタートです。
午前中は広島市内をみてまわることに。
お盆の時期だったせいか朝の広島駅周辺は意外と静かでした。
意外だったのは、駅の周りにやや古めの商店街または市場みたいなものがあったことです。
ところどころ歩道の上にアーケード、いや、テントみたいなものが架かっていました。
他の街ではあまり見られない風景でしたね。
博多の柳橋連合市場に雰囲気が近いかもしれないです。
僕は広島駅から路面電車に乗っりました。
原爆ドームへ。
当然のごとく僕は原爆ドームの方に向かいました。
しかも僕が行った当日8月15日は終戦記念日。
1945年8月15日
太平洋戦争は終結しました。
この9日前、1945年8月6日。
広島に世界初の原子爆弾が投下されました。
第一部では長崎について述べましたが、広島市周辺も軍艦の製造工場などがあり軍の要所でした。
聞いた話によると、
「原爆を投下するにあたり効果(被害状況)を検証するため爆撃機による激しい空襲は行われなかった」
そうです。
原爆ドームを観ている最中ちょうど現地のガイドさんが原爆について話をされており、
貴重な話を聞くことができました。
原爆資料館では聞けないような話もされていました。
「原爆ドーム=爆心地ではない」
ことをはじめて知り、僕はガイドさんの後をついていき爆心地にたどり着くことができました。
長崎とは違い普通の街角の上空だったので何も情報がないとたどりここには来れなかったと思います。
現在は普通の民家となっていますが、
1945年8月6日、午前8時15分。
まさに写真に写っている場所の真上にて。
世界初の原子爆弾が投下され、爆発した。
非常に強い光を放ち、その後想像を絶する熱線や爆風が広島市内を襲った。
十数万の尊い命が失われた。
恐ろしいことです。
現在もまだまだ世界中に核兵器が開発、装備されており、
いつ使用されてもおかしくない状態であるのは容易に想像できます。
核兵器と戦争はこの世の中からなくなって欲しいとものだと切に願うものであります。
原爆ドームに戻った僕はもうしばらくこの建物の周辺をみてまわることにしました。
先ほど載せた写真のように瓦礫が建物の真下に散乱していることに衝撃を受けました。
何が起こったか現場を見ることができ本当によかったと思います。
じっくり見た後僕は平和記念公園の方へ向かいました。
終戦記念日だったせいなのか、それとも普段から観光客が多いのか、分からないけれども外国人の姿をよく目にした。
多くの花や千羽鶴が供えられていました。
原爆資料館へ
引き続き僕は原爆資料館に行ってみました。
かつて長崎の原爆資料館を訪れたことあったのだけども、改めて戦争の悲惨さを痛感しました。
ぐにゃぐにゃ曲がってしまったガラスの瓶や熱線により焼け付いた石、
学生が使用したと思われる弁当箱などなど。
ガラスの破片が幾重にも人体に突き刺さったという話や水を求めて川に飛び込んだもののそのまま死んでしまったという話も有名です。
一瞬すぎて逃げるための時間すらなかったのだから。
もし僕自身当時生きていたとしても何にもできなかっただろう。
本旅行におけるちょっとした平和学習になしりました。
そういえば、学校の図書館には『はだしのゲン』の本があります。
機会があれば読まなければ。
広島市民球場
だいぶ時間がなくなってきたのですが、広島を出る前に原爆ドームのそばにある有名施設に寄ってみました。
それは、お馴染み2008年で歴史の幕を閉じることになった広島市民球場のことです。
翌、2009年からは広島駅の近くに新球場マツダスタジアムがオープンするからだ。(僕が広島を訪れた頃はちょうど建設中でした。)
記念に市民球場の中に入りたかったのだけれど、学生さんだと思うけど試合をしている最中なのでちょっと恥ずかしかったので、野球場に入るかわりに外周を一周してみました。
なお、カープファンは非常に熱狂的らしいですね。
広島市民球場の写真を見て思い出したことが!
そういえば広島出身のアーティスト(野球場で野外ライブを行うこともあるから)たくさんいたなあ。吉田拓郎(いちおう生まれは鹿児島県ですが)や西条秀樹、浜田省吾、奥田民生、ポルノグラフィティー、Leyona、島谷ひとみ、Perfumeなど数え切れない。個人的に好きなアーティストも多いのです。
特に、奥田民生のアルバムは今回の旅のお供によく聴いた。旅によく似合う。その中で『フロンティアのパイオニア』は旅のテーマソングとしてヘビーローテーションしまくり。
まだ午前中なのだけれども、僕は再び広島駅に戻り旅を続けるのでした。
[…] Ⅱ – 2.広島。 […]
[…] Ⅱ – 2.広島。 […]