18時過ぎ。ようやく松山駅に到着した。夏場とはいえ少々日が暮れてきたみたいだ。今夜の宿に向かう前に道後温泉に行かねば。駅前から路面電車に乗って道後温泉に向かった。途中、日本で唯一のものが。それは、一般鉄道と路面電車(ともに伊予鉄道)が垂直に交差する場所があるのだ。一般鉄道が併用軌道(車道と路面電車が一本の道路を使用)を通過する際、踏み切りが下降する。僕がその場を通過したとき鉄道線の列車は交差点近くの駅に停車していたのだが踏み切りは降りていなかった。

20分くらいだったかな。道後温泉に到着。夕暮れ時だったかお風呂に入るにはちょうどいい時間帯なのだろう、観光客をはじめとして界隈には多くの人で賑わっていた。それと、道後温泉の停留所には日本初の軽便鉄道である“坊っちゃん列車”が停まっていた。

「温泉には明日の朝にでも入るとするか。」

とりあえず、本日の宿泊先に向かった。今日はお腹すいたのでホテルの近くの食堂で定食を食べた。その食堂には多くの出張客らしき人がいた。

翌日に続く。

                     坊っちゃん列車
                   坊っちゃん列車、客車部分。

8月19日。

「今日こそ道後温泉に入らねば。その前に、松山城に行かないと。」

ということでまずは松山城に向かった。城内に入るには山を登らないといけないのである。昔は歩いて登山をしないならなかったのだが、現代はロープウェイという交通手段がある。もちろん僕はロープウェイを使った。さすがに朝一の便に乗ったのは僕一人だったので、案内のお姉さんと二人っきりになってしまって一瞬だけどドキドキした。

ロープウェイを降りた後しばらく歩くと険しい石垣ならびに櫓らしきものが見えてきた。だいぶ城に近づいたみたいだ。この時点でも石垣を登るのは不可能だろうと想像できた。反対に城下の方を見ると松山市内が一望できるのだ。写真は後で載せます。もうすこし登るとようやく門が見えてきた。自分自身そこまでお城に関して詳しくはないのでどの写真がどの建物なのかわからないのだが、この城を攻めるのは非常に難しいのだろうなと感じた。

                   松山城の城壁ならびに樓
         この時点において建物内から鉄砲玉や石が飛んで来るのだろうな。
                      松山城の天守

天守内にも見学することができた。ここは日本に現存する12の天守のうちのひとつである。

現在は三重天守であるが、創建当時は五重であったらしい。

建物内の天井までの高さは低く、下手したら何度か頭をぶつけそうになった。それと、「なんとまあ階段や段差の多いことだろう」とも思った。建物内での移動がしにくいこと、あちこちに段差や階段があった。昔の日本人の身長が低かったのと敵から攻められないよう計算されていたのであろう。松山城を見てつくづく城は戦うためにあるものだと思い知らされた。難攻不落の城として熊本城も有名かあ。(熊本城については後述します)その一方で、ここは桜の名所でもあるのだ。その時期はもっと賑わっているのであろう。

お城にいるあいだ、唯一本旅行において雨が降っていた。おかげで雨が降っている場所と降っていない場所の境目がはっきりとわかった。松山城から城下や瀬戸内海を眺めようと思ったのだが残念ながら瀬戸内海まで見ることはできなかった。

                      松山城下。

 松山城から降りた僕は道後温泉に向かった。

                     からくり時計

道後温泉。ここは日本で最も古くからある温泉のひとつである。(万葉集にも載っているらしい)道後温泉周辺が“温泉群”と呼ばれたり愛媛県が“伊予の国”と呼ばれたりしているのもここから温泉が湧き出ているからだという説もある。夏目漱石の小説『坊っちゃん』の舞台としても有名だ。道後温泉駅を出るとしばらくのあいだ商店街を歩き道後温泉本館に到着した。かつては皇族の方々も入浴したらしい。由緒ある建物だ。もちろん国の重要文化財に指定されています。雰囲気からして宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』の「油屋」のモデルではないかといわれているが、たしか実際のモデルは違ったはずだ。

「さあ、入浴しよう。」

 と思ったのだが、料金体系がいくつかある。「神の湯」と「霊の湯」があり、休憩室を使うかどうかにより(休憩室を使用する際、浴衣の貸し出しや茶菓子のサービスがあります)料金が変わるのだ。ホントなら贅沢に休憩室を使いたかった(夏目漱石の気分になってみたかった)のだが、けっこう料金がかかりそうなのと時間的にもそこまでゆっくりできなさそうなので今回は「神の湯」にだけに入ることにした。

個人的な感覚なのだが、温泉に入るのに\1000を越えると高い気がする。生まれ故郷である鹿児島市内の銭湯(ちゃんとした温泉が出ます)の入浴料が安いせいもあるのだが。まあ、なんと朝からお客さんの多いこと。朝風呂の習慣があるそうなのでしょうがないのだけれども。なにはともあれ僕も入浴した。入った感想として、思ったよりもあっさりしているなあと感じた。どうやら泉質は単純温泉みたいだ。逆に言うとクセがなくて入りやすいと思う。それと浴室自体が石づくりで洋風な感じがした。

                     道後温泉本館

松山、そして四国を出る時間が近づいてきたので松山市について概要を。松山市は四国最大の人口を擁する都市(約50万人)である。先ほども述べたように市内には道後温泉もあり国際観光温泉文化都市でもある。松山城から市内を眺めた際、大きな町だなと思った。その一方で高層ビルは少ない、というか無いらしい。これは建造物に対し高さ制限がかかっているためである。

今回は行かなかったのだが、松山市には松山城や道後温泉のほか正岡子規関連の施設子規堂、坂の上の雲ミュージアム、伊丹十三記念館、国宝石手寺など主に文学や俳句にまつわる施設がめじろうしだ。“俳句の街”とも呼ばれる。市内あちこちに俳句を投稿する場所がある。

この旅行記を書くにあたって四国について調べていくうちに、

「四国の中心都市は高松市と松山市のどっちなのだろう?」

とふと思った。両市とも本州とのつながりがある。高松の場合近くの坂出から瀬戸大橋がつながっている一方、松山の場合今治市から来島海峡ルートがある。大きな企業の支店はあるみたいだが両市に分かれているらしい。もし将来道州制が施行されるのなら四国の中心はどこになるだろうか。

そろそろ松山市を離れることにするか。本旅行の第二のメインイベントであった四国編ももうすぐ終わりとしよう。その前に、寄り道の寄り道を思いついたので次章に残しておきます。

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