ここから第2部(西日本一周編)に入ります。
2008年8月14日。
とうとうその日はやってきました。
僕が福岡を離れる日。
「やっと九州を出ることができる。」
始発電車(各停)に乗り下関方面に?
と、当初はこうなる予定だったのだが、寝坊したわけではないけど、最初から予定外の幕開けに(笑)
前日の夜に知り合いの家から自分の家に戻り退居の手続きがすべて終わっている予定だったのが、
家に戻ったのが当日の朝だったので慌てて最後の後片づけを済ませていたら、
4時間遅れになってしまった。
さっそく想定外のことが起こる。
遅れを取り戻すために、まずは新幹線で博多駅から新岩国駅へ。
新幹線とはいっても新岩国へのアクセスは思ったより不便だったような記憶が・・・。
ここで、僕が岩国へ行く途中寄ってみたかったところがあるのでちょっと紹介いたします。
山口県の歴史的な街
その場所とは下関市長府。
岩国と同様、長州藩の支藩であった長府藩の城下町であったところ。
古代より交通の要所として、門前町、宿場町として機能していたが江戸時代になると長府藩の設置により武家屋敷が作られることとなった。
幕末には高杉晋作が功山寺にて挙兵したそうで、現在でも武家屋敷や土壁の街並み長府毛利邸、功山寺、忌宮神社など見所は多数あります。
僕は長府には一度だけ訪れたことあったのだか、残念ながらその時はすでに夕方になってしまっていたのでほとんどの施設の見物は終了していた。
自分自身昔はそれほど歴史に対し興味がなかったのもありまったく下調べもせず行ったので、どこにどういう建物があるのか全然検討がつかなかったのを思い出します。
まあ今となってはカメラを持って街並みを撮っておけばよかったなあと思うところですが。
それともう一ヵ所。
柳井市。
ここは江戸時代商業都市として繁栄した町。
その名残として白壁の街並みが残されている。
その他国木田独歩旧宅や洋館もあるらしい。
近くにある周防大島の風景もすごく絵になるところ。
昔、電車の窓から眺めたことがあったけど、ものすごくきれいだった。
柳井については地元に戻ってから初めて知った。
時間や金銭的に余裕があったら是非とも行ってみたかったところですね。
そうこうしているうちに新幹線は新岩国駅に到着。
岩国市
着いたらさっそく錦帯橋までバス(島耕作号)で移動した。
錦帯橋を渡った後ロープウェイに乗り岩国城のある山へ。
この時点では予想していなかったが、これからいろいろとお城に入ったりロープウェイに乗ったりするのは意外だった。
ロープウェイを使ったとはいえ岩国城までと城内は結構歩いたので喉が渇いてしまった。
というわけで麓に戻ると岩国名物のソフトクリームを食べた。
名物というかとにかく種類が豊富だった。
毎日違う種類のものを注文しても一ヶ月被ることはないだろうな。
ということは、サーティワンアイスクリーム並みの種類か。
暑かったせいもあったかペロッと食べてしまった。それに白蛇もいたなあ・・・。
宮島へ行きたい。
夕方近くになり、広島県宮島口駅へ。
岩国から広島方面への交通アクセスはかなり良く、
これまでの山口県内移動の(苦行)に比べたらすごく楽でした。
JR宮島連絡船に乗り、多くの観光客とともに宮島へ渡りました。
昼間に乗ると厳島神社の鳥居のそばを寄り道してくれるそうです。
さらに世界遺産、厳島神社に向かうことに。
先に進めない。
しかしながら見物客がむちゃくちゃ多かったのでほとんど先に進めませんせした。
そのため僕は厳島神社(ここの記事も参考に)に行くのを途中で断念せざるをえなかったのです。
海上から見物するのだろうか当日は写真のように漁船も多く見受けられました。
「ここにはまた後で寄ろう。」
そう思い名物である焼きカキを食べて宮島を後にしました。
ちなみに僕自身カキはそれほど好きなのではないけれども、ここのカキはおいしく頂けました。
とはいえ、まあ一個食べれば十分でしたが。
宮島水中花火大会
たまたま当日(8月14日)は宮島水中花火大会のため、普段より人出が多かったと推測されます。
※2019年をもちまして、50年間続いた宮島花火大会の開催は終了いたしました。
宿泊先の予約時間に間に合わせる為、花火大会は見られずに移動する羽目になってしまい非常に残念でした。
今となっては時間を遅らせておけばよかったと思うこのごろですが。。。
その当時
「花火は女の子と行くものであって」
一人で見ても面白くないからなとへそまがりな一面もあったからのでしょうがないのと、
写真を撮る機材や技術は全くなかったので、記録に残せなかったのは間違いなさそうでしたね。
広島駅のお好み焼き!
そのかわり広島駅構内の食堂では本場もののお好み焼きを食すことにした。
ボリュームがあり非常に美味しく、いつかまた食べたいものであります。
画像がないのは、旅に出かけた当時、インスタとかそういうのもはなく、
食べ物の写真を撮ったり載せたりする習慣がなかったためなのです(汗)
(ちなみに、宿では北京五輪の中継を見る日々が続きました)
ここで1日目終了。