本日は鹿児島本線(旧線)を下って九州を縦断する予定だ。

「途中熊本で一泊しようかな。」

まだ思案中だ。

とりあえず夜が明けたので小倉からいったん門司港駅に向かうことにした。

その前に本日の出発地である小倉について。

福岡県には福岡市(いわゆる博多)と並ぶもうひとつの政令指定都市である北九州市がある。

北九州市の市役所があるところが小倉(北区)だ。

博多や筑後地方とは異なる方言、文化が存在している。

代表的な例として福岡弁だと語尾が「~たい」になるのだが、北九州弁だと「~ちゃ」となってしまう。

また、博多の屋台ではお酒が売られているのだが小倉の屋台ではお酒は販売されておらず代わりにおはぎが売られているのである。

また、小倉発祥のものも多々あり、(一時期流行った)パンチパーマや競輪、商店街のアーケード、焼きうどん。などなど。名物として合馬のたけのこ、ぬか味噌炊き、小倉牛、(隣の戸畑区であるが)ちゃんぽん、(八幡東区の)堅パン・・・、などなどうまい食べ物がたくさんある。

北九州には何度も来たことあるのだが、実際に食べたことのあるものはないのでもったいないことをしたなとつくづく思うこのごろである。

特に旦過市場で売られている“ぬか味噌炊き”は食べてみたかったのだが、僕が訪れた時間帯(夕方すぎだったが)には閉まっていることが多く残念ながら食べることができなかった。

乾麺で作られる焼きうどんも食べておけばよかったな。

とはいえ、名物を全く食べていないわけではなく、小倉駅前にあるパン屋さんのオムレットはとてもおいしかった思い出がある。

というふうに小倉は博多と違った食文化があり、実にディープな街であるのだ。

食べ物の話だけで長くなりそうなのでここからはちょこっとだけ小倉周辺の名所を。

先ほど出た旦過市場や小倉城、松本清張記念館、森鴎外記念館、カルスト地形で有名な平尾台(小倉南区)、皿倉山(八幡東区)、リバーウォークや公営競技場(全種類揃っている)など。

皿倉山には昔昼間に一度だけケーブルカーを使って登ったことがあるが、かなり標高があるだけあって数多くのテレビ電波塔が建っていた。

ここからの眺めは非常に良く、八幡の街や洞海湾、響灘、遠くは小倉、下関まで見ることできた。

夜景も見るのも良いかもしれない。新日本三大夜景に選ばれています。

なお、ここは日本におけるパラグライダーの発祥の地だとも言われています。

また、かつて福岡県には多くの炭鉱があったのだが、平尾台周辺は石灰石でできているらしく、現在でもセメントの工場があるのだ。

この風景は小倉南区~田川郡にかけての日田彦山線沿いに見えるのだが、だいぶ山が削られている場所もあるみたいだ。

肝心な平尾台には行ったことがないので、いつか行けたらなと思うところである。

昔は“北九州工業地帯”と呼ばれていただけに工場だけあると思っていたが違うのである。

自分自身も福岡市に住むまでは全く知らなかったのだが、小倉周辺には多くの見どころやグルメスポットがあり、非常に面白いところだと思った。

またいつか遊びに行かねば。

小倉周辺の写真を一枚も撮っていなかったのがとても残念。

小倉から15分くらい乗ると門司港駅に到着するのだ。

門司港は明治の頃は神戸や横浜とならび諸外国に向け開港されると日本の玄関口として、また、鉄道が敷かれると対岸の下関との間に関門連絡船が就航し九州の玄関口として栄えてきた。

ルネッサンス調の門司港駅をはじめとして多くの洋館や倉庫、百貨店、料亭等が建てられ繁栄した。

その後、東京湾や大阪湾沿岸、北九州の響灘沿岸や瀬戸内側に大規模な港が開発され、また、関門トンネルが門司駅と小森江駅との間に完成すると小倉側にある門司駅が九州の玄関となったのだ。

おまけに国道2号線関門トンネルや関門橋の開通も続いた。

そのため門司港地区は著しく衰退してしまった。

しかしながら、この地は門司港レトロとして再び脚光を浴びているのである。

門司港駅駅舎(リニューアル前)。
門司港駅駅舎(リニューアル前)。

いよいよ九州を縦断する時が来た。

(普通列車や快速列車のみを使うとして)考えられる縦断ルートとして3つ考えられる。

1つ目は鹿児島本線を縦断する方法。

八代まで鹿児島本線に乗り八代~川内間は肥薩おれんじ鉄道(この区間は九州新幹線が部分開業するまで鹿児島本線だったところだ)、川内~鹿児島中央間は再び鹿児島本線を使う。

2つ目は八代から肥薩線を経由し隼人まで行き、そこから日豊本線に乗り換え鹿児島中央に向かう。

最後3つ目は小倉から終点鹿児島中央まで日豊本線を下る方法だ。

一日あたりの列車の本数からして肥薩おれんじ鉄道経由>肥薩線>日豊本線の順で少なくなってしまうのだ。

九州を縦断するにあたって熊本県~鹿児島県または大分県~宮崎県、宮崎県~鹿児島県の県境を越える列車の本数が少ないことがネックになる。

たしか肥薩おれんじ鉄道線の列車は1時間~1時間半あたりに1本いるはずだ。

それに対し、肥薩線人吉~吉松間は1日5本、日豊本線佐伯~延岡間は朝1本、夕方2本、合わせて1日たった3本しかないのだ。

(余談ですが、時刻表でこの事実を知る前に僕が知っていた九州内で1日あたりの列車の本数が少ない路線は指宿枕崎線山川~枕崎間の6~7本だ。)

日豊線回りで縦断するとなると1日で鹿児島に到着するのは難しいかできないだろうな。

肥薩おれんじ鉄道を使うコースはかつけこの路線を特急列車が走っていた頃は帰省の際必ず使っていたので今回は使わないことにした。

八代~川内間は八代海沿いに走るため日奈久温泉の南側や西方駅の周辺など車窓のいいところがある。

鹿児島市内からはちょっと遠いのだが、夕日も綺麗に見えるそうだしまた乗ってみたいと思う。

ということで、今回僕は肥薩線を乗り通すことにした。

この話はまた後ほど。

当初考えていた予定では、いったん博多駅で下車して福岡市内を見納めした後熊本で1泊、翌日に鹿児島へ向かうことを考えていたのだが、時刻表を見てみると一気に鹿児島まで下れそうなので1日で縦断することに決めた。

まずは門司港駅から鳥栖行きに、鳥栖駅で八代行きに乗り換えて八代まで、さらには八代駅で人吉行きに乗ることにした。

待ち時間もほとんどなくスムーズに乗り継ぎができた。

ここまでの乗車時間は計4時間くらいだと思う。

途中お腹がすいたので鳥栖駅で列車待ちをした際、本旅行初の駅弁を買った。

焼麦弁当とかしわめしが名物なのだが、かしわめしを買い、八代行きの電車内で食べることにした。

通勤時間帯も終わり電車内は混んでいなかったのだが、ロングシート車なので僕が座った席の向かい側では横になって寝ている人もいた。

ボックスシート車やクロス転換シート車とは異なり見られている感があり駅弁を食べるのにはかなり恥ずかしいのだ。

その中でさっさと食べたのだが名物であるだけあってすごくおいしかった。

八代まで移動している間を利用して、前章までに四国や西日本の車両について感想を述べたのだがここでJR九州の車両について感想を。

福岡に住んでいた頃相当乗ったのでいろいろと書けそうなのだがあまり長くなりすぎないようにします。

かつて九州では本州で使われた廃車寸前の車両が回ってきて“車両の墓場”とも言われていたこともあったそうだ。

たしかに昔の車両は古かった気がする。

老朽化した車両の更新やスピードアップ化を図るため国鉄の分割民営化直後に登場した783系特急電車をはじめ1990年代から新車がどんどん投入されることになったのだが、他の地域と異なるのは九州新幹線用や特急用(後述します)にしろ、ローカル用(813系電車、815系電車、817系電車キハ200系気動車など)にしろとにかく車両デザインが個性的であることだ。

2000年代以降に製造された車両に関しては内装に木材を多用しているのも大きな特徴であるのだ。

しかも座席に本革を使用しているのもありゴージャス感がある(885系や817系)。

新車だけではなく昔からある車両をリニューアルしたもの(いさぶろう・しんぺい号や特急はやとの風、415系の一部など)もあるが、種車とはかなりイメージの異なるものとなっている。

地元だけに車両の形式はよく覚えている、まあ、他の会社より車両の形式番号が大きく書かれている(これもデザインに含まれているそうです)のでわかりやすいのもいえるか。

おまけに車両だけではなく鹿児島中央駅をはじめとして駅舎も考えられて造られているのだ。

そのせいか他の地域と比べて駅と列車との統一感があると思う。

特急つばめ(787系)やソニック(883系)、かもめ(885系)が登場したときはすごく斬新でびっくりした。これら3形式はいずれもブルーリボン賞を受賞しています。

ローカル用の車両も乗車していてとてもおもしろいと思った。

門司港駅から八代駅まで移動した際、個人的に好きだった813系に乗り納めすることができなかったのが残念だったな。

それと三角の方にも行ってみたかったがかなわなかった。

門司港駅の構内。鉄道模型のようにもみえる。
門司港駅の構内。鉄道模型のようにもみえる。

かなりマニアックな話をしているあいだに電車は九州新幹線と立体交差している新八代駅を過ぎ、八代駅へ到着。

ここからいよいよ八代~隼人間を結ぶ肥薩線の列車に乗ることに。

2008年、肥薩線は八代~人吉間(いわゆる川線区間)は開業100周年を迎え、翌2009年に残りの区間人吉~隼人(山線)も含め全線開業100周年を迎えたのだ。

九州の鉄道路線でも古い部類に入るであろう。

海沿いを走行する肥薩おれんじ鉄道線よりも歴史がある。

そのため近代化遺産に登録されている施設が多くあるのでこの点については追って説明します。

まずは八代~人吉間について。

肥薩おれんじ鉄道と分岐した列車は球磨川沿いを上ってゆく。

その中で何度か球磨川を渡ることになるが一部の鉄橋は南九州近代化産業遺産群である。

たしか球磨川第一橋梁である。

アメリカの業者が造ったらしい。

坂本駅や白石駅もこの遺産群に該当するはずだ。

一勝地や球泉洞駅を過ぎる。

今回は立ち寄らなかったが九州随一の鍾乳洞である球泉洞にはいつか行ってみたいところだ。

また、人吉市内から球泉洞の近くまで日本三大急流下りである球磨川下りが運行されている。

思ったよりも急な坂を登っている感覚はなかった。

そのためだろうかかつては豊肥線阿蘇方面を走行していたSLあそBOY (8600型)だったのが機関車の不具合が発覚し運行が停止されいったん大修善された後、現在は休日や夏休み等になると熊本~人吉間にSL人吉として運行されているのだ。

山間部を走り続けていると突然開けたところにきた。人吉盆地に入ったと思われる。

なお、ほぼこの区間を併走している九州道の八代から人吉間には多くのトンネルがある(このため本区間で危険物を搭載した車両は通行禁止である)一方、一個もインターチェンジがないのである。

八代~人吉インター間の長さは全国の高速道路における最長区間ともいわれているそうだ。

ようやく僕は人吉駅に到着した。

次の列車まで2時間ちょっとあるみたいなのでしばらく人吉市内を散策することにした。

人吉市。

熊本県の南部の山あい(人吉盆地)にあり宮崎県と鹿児島県に接している。

盆地内に球磨川などいくつかの河川が流れているため冬場になると毎日のように霧が発生するらしいのだ。

夏場でも霞んでいたなあ。

おそらく山の上から市内を眺めると雲海が見られるだろう。

そしてここは人吉藩(相良氏)の城下町として交通の要所として栄えてきた。

そのため九州の小京都といわれている。

駅を出た僕はとりあえず球磨川の方に向かった。

川岸から城の石垣のようなものがみえた。

人吉城跡だ。

市街地からはちょっと離れているように見えたのと現在のところ整備中であることと本丸が見えなかったことなどの理由により今回は行かなかった。

鹿児島の鶴丸城と同様もともと天守は作られなかったらしい。

また、幕末時に造られた石垣には武者返しがついているそうだ。

川岸から離れた僕は市街地の方に向かった。

温泉の看板が目に入ったので公衆浴場を探すことにした。

その途中、熊本初の国宝に指定されたばっかりの青井阿蘇神社を目にした。

境内には入らなかったのだが1200年以上の歴史はあるらしい。

現在建っている本殿等の社殿は桃山時代に造られた荘厳なものであるそうだ。

球磨川の奥には整備中の人吉城跡がある。
球磨川の奥には整備中の人吉城跡がある。

青井阿蘇神社を目にした後、再び駅周辺を彷徨ったら今度こそ温泉とういか古めかしい公衆浴場が見えてきた。

たぶん最後に入る温泉だろうから入ってみることにした。

内風呂と露天風呂、洗い場がある程度で余計なものはなくホント昔ながらの懐かしい銭湯の雰囲気だった。

実際に入浴したがこの温泉自体熱い部類に入るのではなかろうか。

温泉の成分は炭酸水素塩泉だそうで湯冷めはしにくいと感じた。

いままでの疲れが溜まっていたせいもありすごく気持ちが良かった。

当然のごとく湯上り後はアイスを食べて時間を過ごした。

これまで自分が入ったことのある温泉の中で明らかに“ぬるい”といえるのは別府の駅前高等温泉の“ぬるい湯”くらいしか思いつかないのだが・・・。

右岸に人吉温泉街がある。
球磨川の右岸に人吉温泉街がある。

温泉を出た後、再び町を散策。

小京都というだけあって昔からの街並みがあるのかと探してみたのだがなかなか見つからなかった(ここにきてある程度は下調べをしておけばよかったと思った。春先にはひな祭りのイベントもあることから古い街並みは必ずあるはず。)ので、僕は人吉駅に戻り吉松行きの列車を待つことにした。

人吉駅構内には(正確には駅より八代側)旧人吉機関区がある。

ここは日本に現存する唯一の石造りの車庫(人吉機関区車庫)があるのだ。

この車庫も近代化遺産群ならびに九州遺産に認定されている。

よく見ておけばよかった。

そのかわり八代駅に向かういさぶろう・しんぺい号を見ることができた。

そういえば熊本駅にも昔はレンガ造りの車庫があったな。

夕方5時過ぎ。

列車(といっても肥薩線の車両は基本的にキハ31型車両1両編成です。どうやら座席は昔の0系新幹線のものを使用しているのをはじめとしていろいろな部品を再利用しているらしい。)は吉松駅に向けて出発した。

青春18きっぷの利用者が多いのか車内は若い人でけっこう混んでいた。

さて、ここから山線に突入するのだ。

まだまだ見どころがあるのだ。

くま川鉄道線と分離してしばらくは平地を走るのだがいつの間にか山岳地帯に突入していた。鹿児島県に入るには山岳地帯を越えなければならない。

いさぶろう・しんぺい号。
いさぶろう・しんぺい号。
近代化産業遺産群。
近代化産業遺産群。

先ほどの川線とは異なり、列車は明らかにどんどん急な坂を登っているということが分かった。

いくつかトンネルを抜け山の中のちょっとした平地に停まった。

ここが大畑駅である。

駅の周りには人家はなく蒸気機関車に水を補給するために造られた駅みたいだ。

この駅ではお年寄りが1人だけ降りていたなあ。

開業した当時のままの駅舎だそうで構内には蒸気機関車が走らなくなった現在でも石造りの給水塔や乗客が顔を洗うための噴水が残っているそうだ。

そしてここからいったん列車は進行方向を変えて走り、しばらくバックしたと思ったら再び進行方向を変え前進するのだ。

その度に運転手は車両の前後にある運転席を行ったり来たりしていた。

いわゆるスイッチバックだ。

しかもこの駅はこれだけでは終わらない。

さらに急勾配を登りきるため山の斜面に沿ってループ線をゆっくり登ってゆく。

これで険しい山道を克服するのだ。

敷設された当時はこうするしか山岳地帯を登り切ることができなかったらしい。

後に機関車をはじめ急勾配を登れる列車が開発され大掛かりな仕掛けは要らなくなった。

大畑駅の近辺は日本で唯一のスイッチバックとループ線の両方を併せ持つ区間になってしまった。

ループ線を克服するとさらに上り坂を行く。

自動車にも追い越されそうな速度だ。

相変わらず人家がない。

しばらく走ると肥薩線最高峰にある矢岳駅に到着した。

駅構内に機関車が保存されている。

うち1両が現在もSL人吉号として活躍しています。

ここでも誰か降りていたような記憶がある。

さらに列車は進み熊本県と宮崎県の県境を越え、日本三大車窓に認定されている区間に至る。

天気が良ければ加久藤盆地や京町温泉郷、霧島連山、遠くに桜島も眺めることができるのだ。

決して駅や停車場ではないので観光列車いさぶろう・しんぺい号ならしばらく停車するのだが普通の各駅停車の列車なので何事もなかったように通過した。

ゆっくり走行していたので写真を撮れないことはなかったのだが絶景は僕が座っていた側ではなく反対側だったのと空が霞んでいたのとだいぶ日が暮れていたせいもあって今回はなくなく写真を撮ることを諦めた。

これら施設や区間も近代化産業遺産群に認定されている。

山を登りきるとあとは下るだけだ。

再びスイッチバック駅である真幸駅に到着した。

ここは唯一宮崎県にある肥薩線の駅だ。

この駅のプラットホームには幸せを呼ぶ鐘があるそうだ。

それとは裏腹に過去には悲惨な出来事がおきたそうな。

終戦直後、多くの復員兵を乗せて吉松から人吉方面に向かっていた列車が真幸駅の直前のトンネル内で坂を登りきれずに停車した。

蒸気機関車を使用していたことからトンネル内に排煙が充満し、煙に耐えられなくなった多数の乗客(復員兵)は列車を降りトンネルを歩いていたのだが突然列車が退行しはじめ50人以上の兵士が轢かれる事故が発生した(肥薩線列車退行事故)。

また、えびの豪雨では真幸駅の周辺で大規模ながけ崩れが起こりこのときも犠牲者が発生した。

この豪雨のため駅近辺に住んでいた住民は移転せざるを得なかった。

したがって真幸駅の近辺でも民家はほとんどみられない。

僕が乗った次の1往復が人吉~吉松間の終列車となる。

この区間は列車の本数も少なく閑散としていて何時廃線となってもおかしくない状況であったが、2004年の九州新幹線部分開業の際に観光列車「いさぶろう・しんぺい号」や接続できる鹿児島中央~吉松間の特急「はやとの風」が登場したおかげで全国的に有名になった路線だ。

真幸駅から山を下っていくといよいよ鹿児島県に入り、吉松駅に到着した。

人吉~吉松間はたった3駅しかないのだが1時間以上はかかった。

ここで僕は隼人行きの列車に乗り換えた。

後から知ったのだが吉松駅にも蒸気機関車が保存されているらしい。

その昔、吉松駅は肥薩線鹿児島本線)と吉都線日豊本線)、山野線が接続しており重要なターミナル駅だったそうだ。

また駅周辺にはレンガ造りの橋梁もあるみたいで実際に見てみたいものである。

ここは湧水町と呼ばれるだけあっておいしい水が湧き出るみたいだ。

次の栗野駅の目の前には丸池湧水という大きな水源地がある。

ここには翌年の夏訪れたのだが、鹿児島県有数のとてもきれいな池だと思った。

さらに山を下って大隅横川駅嘉例川駅を過ぎた。

この両駅は九州に現存する木造駅舎で最も古いのだ。

ホントはどっちかの駅で途中下車してみたかったのだが、誰も降りる気配がなかったので終点の隼人駅まで乗り続けることにした。

丸池湧水。
丸池湧水。

今回は下車しなかったのだが大隅横川駅と嘉例川駅についてお話を。

先ほども述べたように両駅とも明治時代の開業時(1903年)に建てられており、現存する九州最古の木造駅舎である。築100年以上はなるであろう。

しかも開業時からの姿のままであるのだ。国の登録有形文化財に登録され近代化産業遺産群にも認定されている。

大隅横川駅では昭和20年、太平洋戦争時(7月30日)米軍機による空襲が行われ当駅のホーム上の柱にも機銃掃射の弾が打ち込まれた。

現在でもその時の弾痕が残っているそうです。

また嘉例川駅は鹿児島空港に最も近い(直線距離で約2km)のであるが駅の周囲には小さな集落しかないそうだ。

そのかわり妙見温泉や新川温泉をはじめ温泉郷の入り口にあたるため、当駅と空港や温泉を結ぶ温泉バスが運行されている。

駅弁も売られているそうだ。

それと忌野清志郎最後のシングル『Oh! Radio』のPVでは特急はやとの風から下車しているシーンや駅舎が映っているシーンがあった。

両駅ともかつては幹線の駅として駅員さんがいたのだが現在は無人駅である。

とはいえ地元の人たちによりきれいに掃除されていており非常にきれいだそうだ。

地元だけに絶対に一度は訪れてみたいものだ。

九州新幹線が部分開業するまでほとんど知られてなかったのだが、部分開業後いろんなメディアに登場した効果もあり休日になると多くの観光客で賑わっているそうだ。個人的には平日、静かにたたずんでいる姿を楽しみたいなと思うところである。(職業上無理かな)

僕は隼人駅から鹿児島中央駅行きの列車に乗った。

これが最後に乗る列車ということになる。

すっかり日も暮れて車窓は眺められなかったが、天気が良ければ(特に重富~鹿児島間は海沿いを走ります)桜島と錦江湾を見ることができる。

いつもながら国分~鹿児島中央間の列車はかなり混んでいるなあ。

途中竜ヶ水は1993年8.6水害で大規模ながけ崩れが発生した所だ。今でも大雨が降ると怖い区間ではある。15分くらい走ると終着駅である鹿児島中央駅に無事到着する予定だ。

そして、無事鹿児島中央駅に着いた。これにて長い旅は終わりを告げた。

しかしながら、人生の旅路はまだまだ続く。時々ブログの本編に記載できればなと思っています。

長い記事となりましが、お読み下さり、誠にありがとうございました。